島崎藤村ゆかりの宿 湯河原 伊藤屋で時間旅行
木曾路はすべて山の中である。
このような書き出しで始まる島崎藤村による長編小説「夜明け前」の原案を練ったとされる宿が湯河原にある。
当日は大粒の雨が降っていた。
若干の気持ちの落ち込みを感じながらも、文豪や墨客、要人達が愛した宿への期待に胸が高鳴っていた。
国道135号線湯河原温泉入口から温泉街へ向けて走る。
千歳川沿いに走ると伊藤屋の数軒手前、交番脇に駐車場入り口がある。
入り口は車一台分程の細い道だが、奥には6台程の駐車スペースが広がっている。
画像奥に見えるのは和菓子の老舗「小梅堂」
藤村が夜明け前執筆の間、こちらの「きび餅」を食べて筆を休めていたそうな。
小梅堂の隣に目的の宿、伊藤屋が見えてくる。
文豪ゆかりの宿ということ以外にも、歴史にその名を残す出来事があった。
陸軍青年将校らによって1936年2月26日に引き起こされたクーデター未遂事件「二・二六事件」で、東京以外の唯一の現場となったのがここ湯河原伊藤屋の別館「光風荘」であった。
光風荘は襲撃によって焼失してしまったが、現在は元の地に資料館として復元されている。
宿のご主人に聞いたのだが、土日祝は無料で観覧可能。
平日は一週間前に役場まで予約が必要で有料とのこと。
ロビーへ入ると女将さん始め、お宿の方が総出で温かく出迎えてくれる。
その時点でこちらのお宿に惚れてしまった。
チェックインは入館した順番に部屋へ案内される。
それまではラウンジで待つことになるが、湯河原の古い資料や写真、島崎藤村に関する書籍、観光雑誌が並べられているため退屈はしない。
ロビーにはちょっとしたスペースではあるが、夜明け前の草稿の写し、藤村が宿泊した際の宿帳やお宿の顧客特徴覚書などの展示もされている。
ラウンジの写真も素敵なものばかりなので、是非実際にご覧いただきたい。魅力的な資料に見入っていると私の番となり、部屋へご案内いただく。
一階フロア最奥へ進むと、重厚な階段が現れる。
職人の手で美しく仕上げられた漆喰塗りの天井に変わり、ガラス張りの灯取りにも組子細工が施されている。
最上段が部屋の入り口となる。
今回私が宿泊するのは、大正4年に明治天皇の侍従長を務めた徳大寺実則公爵のご滞在にあたり建てられたという由緒ある部屋。
この画像位置からは、こちらの部屋のプライベートスペースだ。
入室するとまずはタイル張りが美しい洗面台が据えられた板の間となる。
化粧室の窓も細かな細工が施され、広い室内には快適なシャワートイレが設置されている。
見上げると意匠を凝らした美しい天井。
いよいよお部屋へ。
10畳の本間、6畳の次の間、4.5畳の化粧の間が繋がる。
板の間から全ての部屋へ直接入ることが出来る。
視線が向かう先全てに匠の技を感じる。
上の画像の黒い縁。
こちらは左官職人によるコテ磨きで仕上げられたものだそうだ。
建築当時は光沢があったと言われているが、現在でも十分艶かしい光を放っている。
本間と次の間の奥には広縁が伸びる。
窓に嵌められるガラスは手仕事の温もりを感じるゆがみガラス。
床は磨き込まれ滑らかで艶がある。
テーブルにご用意いただいているお茶菓子はお隣の老舗、小梅堂のきび餅だ。
まずは藤村が味わった和菓子で一息。
こちらの浴場は男女内湯、無料貸切風呂二つ。
内湯は24時間入浴可能。
貸切は22時30分で閉まり、翌朝は7時頃再開で、時間内で空いていればいつでも入浴可能だ。
扉の奥から「貸切中」札を取り、表に掛けて中から施錠し入る。
ちなみにこちらの扉の風呂は野趣に富む岩風呂。
私はこちらが気に入り、滞在中三度入った。
ちなみに夜は更に雰囲気が良い。
もう一つの貸切風呂。
こちらはバリアフリー仕様となっており、どなたでも安心して入浴出来る。
窓が大きく開かれた半露天風呂。
部屋へ戻り、窓に嵌められたゆがみガラスからの刻々と変化する外の表情を眺め、夕食までのんびりしていると自分の気持ちが変化していることに気付く。
歴史を重ねた木造の日本建築には雨が良く似合う。
瓦屋根からは雨粒が滴り、しっとりと濡れた木材の香りが漂う。
空に厚く幕を張る灰色の雲すらも絵になる。
それまで雨のために憂鬱であった気分がすっかり晴れていた。
雨も旅情をかきたてるエッセンスとなるようだ。
夕食は18時か18時半を選択する。
食事会場は半個室となっており、周りを気にすることなくゆっくりと食事を楽しむことが出来る。
お部屋やプランによって献立は異なるが、私のプランの料理を一部ご紹介させていただく。
お造りは舟盛りで出していただいたのだが、肝心の船全景の撮影を失念した。
もちろん臭みは全く無く、旨みをしっかり感じられる。
熱燗が良く合った。
これらの他に数品出していただいたが、どの料理も繊細で味わい深く素晴らしいものであった。
夕食後にもう一度風呂に入り、名残惜しい気はするが就寝。
ぼんやりとした灯りが障子を照らす。
ちなみに食事中に布団を敷いていただいているのだが、同時に広縁の窓以外の全ての窓の雨戸を閉めてくれている。
窓の数が多いため、毎日の労力を考えると頭が下がる思いだ。
朝の光で安眠を邪魔されることもない。
そして朝食中に布団が上げられ、雨戸も開かれており、気持ちの良い光が差し込んでいる。
お心遣いが心に染みる。
翌朝、前日8時にお願いしていた朝食。
昨夜と同じ席に着くとまずはこちらが準備されている。
その後、肉厚なアジの開き、肉豆腐などが運ばれてくる。
こちらも一部ご紹介。
ご飯は二食ともにおひつで多めに提供されるので、沢山食べたい方には嬉しいサービスだ。
部屋に戻ると部屋がまた表情を変えていた。
毎度ながら名残惜しい時間というものは、倍速以上で流れているように感じる。
多くの文豪、墨客、要人に愛され、藤村は奥様と共に年に4〜5回は訪れていたとご主人からお聞きした。
藤村が毎度指名していた部屋「1番」は現在では取り壊されているようだが、今回私が宿泊した本館52番。そして14番、17番、19番、51番は藤村が訪れていた時から存在していたとのこと。
52番は藤村の奥様もよく宿泊されていたお部屋なのだそうだ。
宿を後にする際にも、ご主人が外まで見送りに出てくださる。
そして、宿の歴史や敷地内の見所を見逃すことのないよう説明してくださったり、私の質問にも丁寧にお答えいただいた。
門を出て私たちの姿が見えなくなるまでご主人が深々と頭を下げているのが見えた。
伊藤屋の門を入ってから出るまで、常に喜びを与え続けてくれた。
季節が変わる度に泊まりに来よう。
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