【随筆】線香花火
樹々の間から海を見下ろす展望台に一人立つ。
隣には誰もいない。
中学生の時に家を飛び出し、半ば強引に住み着いたのがとある友人の家。
友人の部屋は母屋から離れた場所にあり、しばらく匿ってもらおうと考えていた。
ご両親にも可愛がっていただいていたため、上手くいけばなし崩し的にそのまま暮らしていければなどと、子供の甘い考えでの行動であった。
今でこそ有り得ない状況であるし、即捜索願案件なのだとは思うのだが、当時のまだ穏やかさが残る時代の風潮と、両親同士の話合い、父の内弁慶、そして何より友人と、友人のご両親の寛大な心の恩恵であった。
素直に甘えきってしまった自分にも腹が立つ。
友人は私が転がり込む少し前から不登校となっていた。
特に理由は無かったと憶えている。
いじめだとか、嫌がらせがあったとか。
ただなんとなく行きたくない。それだけだ。
そんなことがあって気を使ったわけではないが、私は時間があれば入り浸っていたのだ。
いざ一緒に暮らし始めるとなると修学旅行気分とでも言うのか、初めのうちは毎日が楽しかった。時間を気にせず話し続け、ギターを弾き鳴らし。
だが思春期の男子が同じ空間で同じ時間を延々と過ごすわけで、時間が経つにつれ喧嘩が増え、何日も口を利かないということも増えていった。
そうなるとどちらからともなく話しかけ、ぶっきらぼうに返事をする。
そしていつの間にか仲直りをして、また楽しく夜中に騒ぎだすという毎日が繰り返されていた。
私はとある理由があり学校が終わり、部活が終わると叔父が経営する会社で働いていた。
どのように通勤していたかはここに書くことは出来ないが、遅くまで働いて、更に遅くに帰るわけだが友人は起きて待っていてくれた。毎日。
部屋の入り口の奥に掛かるカーテンから漏れる光が温かく感じた。
「おう、お疲れ」
毎日変わらず掛け続けてくれるこの言葉に何度救われたか。
何度心に花が咲くような思いがしたか。
高校へ入学してからも私はその部屋に住み続けた。
友人も友人のご両親も嫌な顔せず置いてくれたのであった。
「もうあんだも息子みだいなもんだがらね」
素直に涙を流し喜んだ。抱きしめてくれた。私には母が二人いるのだと思うと、とても心強かった。
オートバイの免許が取得出来る年齢になり二人に夢が出来た。
私はカワサキのZ2(750RS)。
友人はハーレーダビットソンのFXDL。
いつかは大型免許を取得してツーリングに行こうという夢だ。
その前に中型免許を取得して、ゼファー400とドラッグスター400で練習だなと笑い合った。
私は目標があったため、それまでと同じく遅くまで働き、遅くに帰る。そんな毎日を変わらず過ごしていた。
初夏。
昼間は汗ばむような陽気となったが肌寒いある日の晩、部屋の電気が消えていた。
友人が出掛けているのかと思いながら戸を開けると、真っ暗な部屋で友人が脂汗を流し、胸を抑えながらのたうちまわっている。
電気を点けてすぐに駆け寄り声を掛ける。
私の声を聞いて意識を取り戻した友人に救急車を呼ぶことを伝えると、胸ぐらを掴み「やめろ!」と拒否した。
せめてお母さんに言っておこうと提案するも、それも首を横に振る。
何故だと聞いても黙っている。
それから私が両親と顔を合わせる時間を友人は監視するようになった。
数日後、夜帰宅すると真っ暗な部屋のテーブルに書き置きがあった。
友人が救急車で運ばれたことと搬送先が書かれていた。
初めて膝から崩れ落ちるということを経験した。
病気の知識などは無く、無学にも等しい私でも薄々気付いてはいた。
明らかにおかしいと。尋常ではないと。只事ではないと。
だが言えずにいた。後悔した。
すぐに友人のお母さんへ連絡し、友人の容体を聞く。
「今ICUに入っているの。明日来てくれた時にお話するね」
ICUとはなんだ。ドラマで聞いたことがある。大丈夫なのか。
落ち着いて寝てなどいられるわけもなくすぐに病院へ向かった。
病院の前で待っていれば良いだろう。病院入り口に座り、時間が経つのも忘れ震えていた。
指定の時間にお母さんの元へ向かう。
「早いのね、ありがとう。今頑張ってるよ」
ガラスで仕切られた先、ベッドが並んだ内の一床に友人が寝ている。
「意識が戻ったら会ってあげてね」
お母さんの目は血が走り腫れ上がりながらも未だ涙が乾いておらず、私の胸を突き刺す。
「白血病だって」
なんだそれ。どんな病気なんだ。癌とどちらが酷いんだ。
頭の中でまとまることが無い、決して答えが出ることも無いことを巡らせているとお母さんが言葉を続けた。
「もう手遅れなんだって」
消え入るような声で呟いた。目と口が妙に不釣り合いな、笑顔を作っていた気がする。
頭をスッポリと覆うキャップ、緑色の紙のような素材のエプロン、ゴム手袋、ゴムのついた靴の上から履く袋。
エアーシャワー。
ようやく入室。
「おう、お疲れ」
いつものように声を掛けてくれる友人。
油断をすれば溢れてくるであろう涙を笑顔で隠す。
「ビックリさせんなよ」
私も明るく声を掛ける。
ガラスの向こうにいたはずのお母さんが姿を隠した。
「すぐ治すから、待ってろよ」
力強い笑顔で友人が言い切った。
それからは時間が許す限り病院へ通った。
蝉の声が仙台の街に響き始める。
友人はニット帽を被っている。
すっかり髪の毛が抜け落ちてしまったようだ。
「見る?見る?」
ふざけて見せるが痛々しく、私も声が出ずに笑ってみせるだけであった。
元から痩せている男であったが、まるで骨と皮のような状態になっていた。
「ツーリング行けるかな」
急に弱気に呟く。
「治すんだろ?ハーレー乗るんだろ?俺は絶対にZ2買うから。どこ行く?」
骨が目立つ顔で笑顔を作った。
数日後。
先に逝ってしまった。
それからはあまり記憶に無い。
周りから伝えられたことを言葉として記憶している程度だ。
場面として憶えているのは、友人の葬式で弔辞を読んだこと。
読み始めた途端、友人の最後の悪戯かのように、土砂降りの雨が降ってきたこと。
その悪戯を別に気にしていないように装い、私は読み続けたこと。
これだけは憶えている。
友人のご両親はその後も部屋に置いてくれた。
「あんだまでいなくなったら私達耐えられないがらこごさいて(ここにいて)」
本当にありがたかった。私は幸せ者であった。高校の卒業まで甘えてしまった。
就職を機に部屋を出る際もしきりに止められた。何度も。何度も。
私の本当の母のように思っている。お母さんも私を息子のように思ってくれていると感じた。確証は無い。だが確かなのだ。
今年で23回目の墓参りとなるのか。
寺の住職が妙なものを見る目を向けてくる。
それはそうか、黒い革ジャンに革パン、革のブーツだ。
花をあげ、線香をあげ手を合わせる。
「じゃあ、行こうか」
カワサキZ2の黒い頭の小さなキーを回す。
セルボタンを押し、集合管から轟音が響く。
市街地から海へ抜ける。
かつて有料道路であったツーリングスポットがある。
樹々の間から海を見下ろす展望台に一人立つ。
隣には誰もいない。
海沿いを一頻り走り、ガレージに帰る。
Z2の隣には一緒に走ることがないFXDLが待っていた。