高尾山ノスタルジア No.17:高尾山薬王院(2/2)
(前回からの続き)
黒門から道を引き返してお札授与所手前まで戻り、階段をあがって仁王門をくぐると、御本堂(大本堂)の前にでます。この御本堂が完成したのは明治34年(1901)。「八王子名勝志」の挿絵をみると、現在の大本堂が建っているところには護摩堂と薬師堂ならびに大日堂と三棟のお堂が並んで描かれています(資料①)。
これらのお堂ですが、明治19年(1886)の台風により境内に崖崩れが発生、薬師堂ならびに現在書院がある場所にあった本堂が被災し倒壊。これが明治34年(1901)の御本堂の落成につながるのですが、この工事に伴い、大日堂は同じ敷地の東の端に移されて大師堂となり、護摩堂は高い位置に移設されて奥之院不動堂になりました。倒壊した薬師堂の建材は、京王線高尾駅のプラットフォームから見える大光寺の旧本堂(老朽化で昭和49年(1974)解体)の建立に利用されたとのことです(*1)。この大光寺の境内には樹齢200年という実に見事な江戸彼岸桜があり、花が満開になると、同時期に開花するしだれ桜と相まって、境内を美しく彩ります。
大本堂の左手にある石の階段を上がっていくと、鳥居が見えてきます。鳥居は、高尾山薬王院の御本尊である飯繩大権現が祀られる御本社(飯繩権現堂)の前に立っています。「八王子名勝志」に残る、江戸期の薬王院境内の挿絵(資料①)をみると、この時分は御本社にあがる階の入り口に鳥居が立ち、「二ノ鳥居」と呼ばれていました。この鳥居は明治維新の神仏分離令による廃仏毀釈により一ノ鳥居とともに解体されます。その後、さまざまな資料により昭和の初め頃には現在の位置に鳥居が復活したことが確認できます。
御本社は東京都から有形文化財に指定されています。以下、東京都文化財情報データベースから説明を引きます(*2)。
「寺の建立は、薬王院縁起によれば、天平16年(744)行基が勅命を奉じて、本尊薬師如来を安置したのに始まるとありますが、後の永和年間(1375-79)に沙門俊源が飯縄の神を安置して中興し、これにより高尾山の信仰は世に広められたと伝えられています。権現堂の建立は棟札によると、本殿は享保14年(1729)に建立され、宝暦3年(1753)に拝殿、幣殿が再建され、当時の本殿は独立していたものと推測されます。後の文化2年(1805)の修理の際に、本殿と幣殿屋根は連結されて権現造の形式になったと考えられます。拝殿は、木造、単層、屋根は入母屋造、銅板葺、3間4面の堂に廻り縁を付け、組物、彫刻などには彩色が施されています。これらの組物、彫刻などは江戸時代中期の社殿建築として優れた技術がうかがわれ、この頃の権現造の優秀なものとして東京都の有形文化財(建造物)に指定されました。」
この御本社、「薬王院飯繩権現堂」の名称で文化財登録されています。ですが、その前に鳥居があるということは、これはお堂ではなくお社であることを意味します。明治の廃仏毀釈の大混乱のなか薬王院は仏教寺院としての存続を選択し、鳥居も含め神道的なものを山からすべて取り払うことになるのですが、その際一旦はお堂であるとしたらしく、それが通称化したらしいのです。この時薬王院が仏教護持で結束したことが、かえって太古から連綿と受け継がれてきた神仏習合のならわしを保存することにつながります。廃仏毀釈の混乱は数年で沈静化し、先述のとおり昭和の初め頃には鳥居も復活します。薬王院公式ホームページにおいて、この建物の呼称は「御本社」で一貫しています。
明治政府による神道の国教化政策の一環で発令された神仏分離令により、日本全国の寺社は仏教か神道のどちらかに純化することを迫られます。その結果、現在多くの寺社はどちらを祀るかはっきりしていますが、いにしえの日本で一般的だった神仏習合がこんにちに至るまで保存されていることが薬王院有喜寺の最大の特徴であり、その歴史的文化的価値なのです。
(*1)
外山徹、「高尾山歴史の散歩道」、大本山高尾山薬王院、2021、P.115、P.157
(*2)
東京都教育庁地域教育支援部
東京都文化財情報データベース
(*3)
参考資料 日本銀行HP 日本銀行の紹介、「教えて!にちぎん:日本銀行や金融についての歴史・豆知識:昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?」
876.3(令和5年)÷ 1.099(昭和2年)=797.36倍
150円 × 797.36 ≒ 119,604円
(注1)
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参考資料:文化庁 著作物等の保護期間の延長に関するQ&A
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