「みんな」は存在しない
思ったことの羅列です
みんななんていない。みんななんていないし、勝手に自分の中で作り上げたものでしかないのに、そのみんなに縛られているなんてばからしい。だって、みんな!って呼んで振り返る人なんていないじゃん。みんなは~とか普通の人は~なんていうけど、みんなって誰よ普通の人って誰よ、読んだらその人たちは来るの?こないじゃん。だっていないんだもん。
純度百パーの自分。わたしはわりと自分度高い方だな、自我むんむんだし
明日はわからないけど今日の私は今日の私のことを誰よりも可愛いと思えるし何でもできる気でいる
結局信じれるのは自分だけなので自分のために頑張って生きる
壁ドンにキュンとするのは、壁ドンがキュンとするものと先にその定式がインプットされているからではないだろうか
自分の身体には合わない華奢なサイズの服を合わせて脱帽するも、自分には似合わないと思うことをやめることからはじめる、なぜならそれは単なる思い込みで、事実ではないから。大丈夫、あなたはかわいい、わたしが保証してあげる
スクリーン上だけでもかわいくありたい。加工は使うために人間の欲から生まれてきたのだから、その用途をしっかり満たしてあげるべき。なのでわいっちはUlikeで自撮りするべ。
生きるのが下手な愛おしいあの子、メンヘラを語る文脈でこんなのでてきそう
できないことをできるようになったら嬉しいだろうな、元気な日はじゃなそのための努力をしようとする気になるけど、そうでない日はそんなこと言ったって今日生きるのに今をなんとかやっていくのに精いっぱいなんだよって感じだが
文字通りの意味だけじゃないことだってあるんよ
元気になったら、聞く音楽も明るくなるし、謎に一人で踏ん張って生きていくぞて思えるし、なんせいろんなものを記録して、計画立てがち、色々整理したくもなるし
知的な探求を封じる知的怠慢
どこかに属すること自体がめんどくさい。組織に属するということは程度は、アイデンティティや安心等をふよしてくれたりする一方、度合は属す団体や属し方によって異なれど、その組織に縛られることでもあるので、ぽよと日本人、〇〇県民、女といったような縛りだけで十分。その要素だけで私は十分生きていける。
絶望してる暇はみたいなタイトルでどんどん蹴散らしながら進んでいく系の話すきじゃない
自我を生やす
ポップでポジティブなエンパワーメントワードが並ぶリリックやメディアとは乖離する現実
暴力じゃない刺激
セックスなんかでうまる寂しさなんて大してないので、セックスはただ快楽を求めて楽しむためにだけすべき
元気なると謎に自分の生活の記録とって管理したくなるんだけど、何時に起きて何したかとか何食べたかとか何ページ本読んだかとか何歩歩いて体重はいくらだとか諸々、でも結局数日しか続かないんだよな。今日の朝は、自分を最後まで愛してあげられるのは自分だけだし信用できるのも自分だけなのに自分のために一生懸命生きよう、と思いながら起床したので、化粧しながらアップテンポの曲聞けるし、電車ではぼうっとせずに本読めるし、数か月後の院試に向けて準備進めよと思えるし、何だろうねこの差は。あ~今日も地獄の始まるだぁあと思って、今日も息つないでしまったことに絶望して起きる日との。
スマホやパソコンのスクリーンがブラックアウトした時にうつる自分の顔が少しでも可愛かったら、いやな気持にならずに済むだろうから、ダイエットするぞ
需要は供給の母