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よんなーよんなー

沖縄弁で「ゆったり」と言う意味である。

湯気がゆらゆらと立ち昇る。
その向こうにぼんやりとした景色が広がる。

肩まで湯に浸かり、ふぅっと息を吐くと、全身の力がじんわりと抜けていくのを感じる。
温泉の湯は、ただの水ではない。

山の奥深くから流れ出たそれは、長い時をかけて地中の養分を吸い込み、人の身体をゆるめる魔法を持っているようだ。

 日々の生活は何かとせわしない。
朝、慌ただしく準備をして家を出る。

電車の時間を気にしながら、足早に駅へ向かい、仕事に追われる。
気づけば一日が終わり、ベッドに倒れ込むように眠る。

そんな繰り返しの中で、ふと立ち止まる時間を持つことがどれほど貴重なことか。

 温泉は、そんな日常の喧騒を忘れさせてくれる。
湯船にゆったりと身を任せ、何も考えずにぼんやりとする。

ただ目の前に広がる景色を眺めるだけでいい。
遠くの山々の稜線、静かに流れる雲、時折聞こえる鳥のさえずり。

それらはどこか懐かしく、心を穏やかにしてくれる。

 時計を気にしない時間の贅沢さ。
現代は何かと時間に縛られることが多い。
「あと何分で電車が来る」「締め切りまであと数日」「〇時までに終わらせなければならない」。
そんな「時間の枠」の中で生きていると、どうしても心がせかせかとしてしまう。

 だからこそ、意識的に「ゆったり」を取り入れたい。
たとえば温泉だけでなく、休日の朝、目覚ましをかけずに自然に目が覚める時間を楽しむ。

お茶を淹れ、本のページを一枚ずつめくる。
その行為に没頭する時間もまた、ゆったりとした贅沢なひとときだ。

 そういえば、温泉宿の朝もまた格別である。
早朝、湯けむりの立ち込める露天風呂に浸かりながら、朝日が山の端からゆっくりと昇るのを眺める。

湯の温かさと朝のひんやりとした空気のコントラストが心地よく、頭の中がすっきりと澄み渡っていく。

 朝食もまた、普段の忙しない食事とは違う。
炊き立ての白米、湯豆腐、焼き魚。

ひとつひとつを味わいながら、ゆっくりと箸を進める。この「ゆっくり食べる」という行為が、心にも身体にも優しく作用するのだろう。

 私たちは、つい「時間を有効に使わなければ」と思いがちだ。
でも、「何もしない時間」や「ゆったりとしたひととき」が、意外にも心の余裕を生み出し、結果的に活力を与えてくれることがある。

 温泉での時間、ゆっくりとした食事、何も考えずに空を眺めるひととき。そんなささやかな「よんなー」を、もっと大切にしていきたいと思う。

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クマ犬ぽた&chatGPT

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