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【感想文とその特徴】チェルフィッチュ/岡田利規 × 藤倉大 with アンサンブル・ノマド 『リビングルームのメタモルフォーシス』(東京芸術劇場・2024年)【前編】



——まずは、なによりも先に、メタモルフォーシスという言葉の意味を、確認しておくべきでしょう。

 ラテン語由来の「メタモルフォーシス」は、ギリシャ語由来の「メタモルフォーゼ」と同じ概念を表します。
「メタモルフォーゼ」(Metamorphosis)は、ギリシャ語の「meta-」(変わる)と「morphē」(形)から来ており、直訳すると「形の変化」を意味します。
 一般的には、変態や変容を指し、特に生物学の文脈では、昆虫や動物が成長過程で劇的に形態を変えること(例:幼虫が蝶になる)を表します。

 文学や哲学においても、メタモルフォーゼは「人間の内面や外部の環境の変化」「存在の変容」などを象徴的に用いることがあり、フランツ・カフカの『変身』はその典型例です(『変身』の英訳タイトルは『The Metamorphosis』)。
 この作品では、主人公がある日突然巨大な虫に変身することで、個人の疎外感や社会との断絶をテーマに描いています。

 要するに、「メタモルフォーゼ」は何かが本質的に変わるという概念で、単なる外見の変化以上に、根本的な変質や転換を意味することが多いです。


——少々話は逸れてしまうかもしれませんが、メタモルフォーゼという言葉を聞くと、真っ先にメタモンという名のキャラクターを想起してしまいます……。

 このキャラクターはポケットモンスターに登場し、ピンク色の、アメーバ状のスライムのような形状をしています。

 基本的には「へんしん」というわざしか覚えておらず、「へんしん」をして姿形とわざを完全にコピーします。
 相手とは、眼の前にいる相手、すなわち今自分が対峙して闘うことになっている相手のポケモンのことです。
 なににでも「へんしん」できるというわけではなく、今、眼の前にいる相手にしか「へんしん」することができないという制限があるわけです。

 メタモンは確かに「メタモルフォーゼ」という言葉と結びつくキャラクターです。
「へんしん」はまさに形態や状態の変化、つまりメタモルフォーゼを体現していると言えますが、興味深いのはその制限です。
 メタモンは眼前の相手にしか「へんしん」できないという点で、ある種の「受動的な変化」を強いられている存在です。

 これは、カフカの『変身』における主人公の強制的な変化や、環境に対する適応を余儀なくされる生物のメタモルフォーゼとも対比できるかもしれません。
 メタモンの「へんしん」能力は、自由な変身というよりも、周囲の状況や相手に依存した変身であり、そこには限界や制約がある。

 この点で、メタモンは自分の意思で自在に変化できる存在ではなく、むしろ状況に応じた変化を余儀なくされる存在であると言えるでしょう。
 もしかしたら、これを象徴的に解釈するならば、私たちもまた日々の生活の中で、自分のアイデンティティや行動が、他者や環境との関係の中で形作られ、変化を強いられているのかもしれません。

 この考察のひじょうに面白いところは、この「今、眼の前にいる相手」にしか「へんしん」できないという制約が、ある意味で私たちが状況や社会にどう対応するかを暗示している点です。


——じゃあ、カフカの『変身』における主人公の強制的な変化や、環境に対する適応では、どのような点が「受動的な変化しかできない境遇」、「受動的な変化を強いられている境遇」とそれぞれ解釈することができるだろう?

 カフカの『変身』における主人公グレゴール・ザムザが、ある朝突然巨大な虫に変わってしまうことは、まさに「受動的な変化」を強いられている状況の象徴でしょう。

 グレゴールは、自分の意志とは無関係に虫に変身してしまいます。
 この変化は彼が選んだものではなく、完全に受動的なものです。
 彼は、自分の新しい姿をどうすることもできず、ただその変化に従わなければなりません。

 身体が巨大な虫となってしまったことで、彼は日常生活や社会での役割を維持することができなくなり、これまでの「人間としてのアイデンティティ」も崩壊していきます。

 このように、カフカは主人公に強制的に課せられた変化を通じて、人間の無力感や、外的な力に左右される存在としての人間の脆弱さを描き出しているのです。

 そうしてグレゴールは次第に孤立していきます。家族が彼を閉じ込める部屋や食事の扱いなど、彼の周囲もまた彼を拒絶し、彼が適応できない環境に変化していきます。

『変身』におけるグレゴールの境遇は、意図せず変化させられ、何もできないままにその変化に適応せざるを得ない姿を描いています。

 メタモンの「へんしん」と同様、他者や環境に完全に依存した変化は、自分の意思で変わることができないという無力感を強調しており、それは現代の社会や個人の不安とも共通するテーマであると思います。


——では、これらの前置きを踏まえて本題に入ることとしましょう。
これから私たちが一緒に考えていきたい作品はチェルフィッチュの音楽劇『リビングルームのメタモルフォーシス』についてです。

 劇を観た人にも、劇を観れなかった人も楽しめるようなかたちで、考察していきたいと思っています。よろしくお願いします。

『リビングルームのメタモルフォーシス』あらすじは以下の通り。

賃貸契約の一方的な破棄により、住む家をいきなり追い出されそうになる家族の物語。
しかし人智の及ばない強大な力が見え隠れし始め、その問題自体が舞台上から消え去り——人間の世界を圧倒する世界が上演を支配し、まったく新しい世界が舞台上に立ち現れる。
俳優たちはナラティブとは別の基準によって作られた振付を遂行し、次第に変態していく。
音楽家もまた、楽譜に書き込まれた多彩な技法を用いて音楽を変容させる。
6名の俳優の発する言葉と7名からなるアンサンブルの演奏とが響き合い、物語と音が溶け合っていくとき、計13のサウンドが互いに影響し合いながら、どのように変化を生むのか。

 考察するにあたっては、まずこの作品が扱っているテーマと表現技法を理解し、観客に対してどのようなメッセージや感覚を伝えようとしているのかを探ることが重要だと思います。
 物語の表層にある「賃貸契約の破棄」という現実的な問題と、それに対して次第に浮上してくる「人智の及ばない強大な力」との対比が、この作品の鍵となるはずだからです。


>> 次回更新へ続く


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