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人に寛容になれない

私はずっと自分が他者に寛容でおおらかな人間だと思っていた。
ほとんど怒ることがないし、30分以上遅刻されても平気で許すし、とことん相手のペースにあわせる。
「他者を受け入れる優しい自分」というアイデンティティが長年あり、それが自分の強みだと思っていた。

しかし、最近はそれは間違いで、むしろ他者に不寛容で厳しいからこそ、それを隠すために不必要に寛容で優しくおおらかに振る舞ってきたのではないかと思うようになった。

体調不良で休職し、仕事がないので、いくら家事育児をしているといっても、脳のリソースがあまる。
それで、自分の内面を観察してみると結構な頻度で他人にイライラしていることに気づいた。そして、イライラを相手に悟られたくないので、それを隠すために、必要以上に相手を気遣ったり、優しくしたり、相手に合わせたりとサービスするような言動をとっている気がする。
(このような言動がいわゆるパワハラやモラハラ気質の人を引き寄せているという気づきもあったが、ここでは一旦置いておく。)

例えば、プライベートで、時間に遅刻してくるということに対して私は結構イライラする。もちろん数分ならなんとも思わないが、20~30分以上で、かつ相手からの謝罪がしっかりない場合はイラつく。相手がプロの場合で、こちらがお金を払っている場合は例え数分でもイライラしてしまう。でも心が狭いと思われそうで言えない。

友人関係の場合、一緒に友人と子連れで旅行にいったときに、相手の方が2時間ほど起きるのが遅かった上、さらに2時間程度も化粧や身支度に時間を費やして、なんともいえない気持ちになった。
振り返ると、イライラしていたのだと思うが、イライラの気持ちを自覚してしまうと、「大好きな友人に対してイライラしている」という葛藤状態に精神的に耐えられないので、抑圧し、全然気にしていないし、むしろこの時間を楽しんでいますよ~という雰囲気を出していた。

子育ての場面では、友人の子どもが私の子どもを突然理由もなく蹴った時の謝罪が足りないような気がしてイライラした。(友人は自分のこどもに謝罪はさせてくれたが、本気で怒ってない感じだったのと、謝れて偉いね~!とその後盛大に自分の子を誉めていたのが、なんだか心にひっかかってしまった)

書いていてここまでは、こちらも若干被害を被っているし、イライラするのもまぁ分かるなぁ。決して寛容ではないけど…と思った。

しかし、理不尽にも思える以下のようなことにもイライラしてしまうのだ。

同僚が仕事が暇(なぜか私より仕事の分担が少ない)なので副業するといってきたとき、未就学児の子どもに家でずっとYouTubeを見せているという友人の話を聞いたとき、数年にわたって給料をもらいながら仕事を休職し給料泥棒最高!といっていた友人、毎週自分の親に育児の手伝いにきてもらいながら「週一しかきてくれない!」と不満をいう友人、愛想のない接客業従事者等々

完全に理不尽なイライラだなぁ、と自分が嫌になってしまう。
しかし、書いてこれらを良くみてみると、「私もそうしたいのにできない、ズルい!!」が隠れているような気がする。
私は、生い立ちの関係で「常に頑張る」ことを求められてきたので、うまく手を抜いたり、休んだりということが非常に苦手だ。そのため、他人に頼って上手く手を抜いて休んだり、楽をしているようにみえるひとにイライラしてしまう。

つまり、私のニーズは人に助けてもらいながら手を抜いて仕事や育児を休みたい、ということのようだ。
現在休職中だが、やはり休むのが苦手で、少し元気になると、家を5時間ぶっ続けて大掃除してしまったり、なぜかボランティアを始めてしまったり、簿記などの資格の勉強をしようとしたり、転職活動をはじめたり、子どもを楽しませなければと、公園や支援センターに毎日連れていったりしてしまう。
そして、心身ともに疲れきってダウンするという負のループ。
私に必要なのは手を抜いて休むということ!!!

図らずも、「イライラ」という感情がニーズに気づかせてくれた。
他人に厳しいのは自分に厳しいからだ。
この機会に自分の感情をもっと大切にしていきたい。


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