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残酷な弓2

映画「少年は残酷な弓を射る」を観た感想です。

前回はご紹介でしたが今回は完全にネタバレを含みますので、本作品を観たことがあるという方。もしくは今のところ映画を観る予定はないからネタバレも構わない、という方で興味があるという方はお読みいただけたらと思います。

サイコパス、サイコキラーというキーワードを含む感想であり、タイトル通り少々残酷な内容を含みます。


感想

私は次々と作品を観たり読んだりといったことをすることがないので、今まで観た映画作品の数も限られている方だと思います。

ですがまさか、過去にアニメ・漫画「惡の華」を観た、読んだ時と似たシーンが出てくるとは。

インクで壁一面を汚すシーンです。

思春期や心が荒れている時には起こしやすい行動なのでしょうか。
まさかこんなところで共通点を見つけるとは思っていなかったので、ちょっとドキッとしましたね。

みなさんはいかがですか。実際にあのような出来事に遭遇したことはありますか?
この人生において、壁一面を液体(インクやペンキ等)で感情的に汚した経験はもちろん、見たことすらないという方が99%程なのではないか
と思いましたが、いかがでしょう。

それとも創作ではよく出てくる描写なのか...謎です。


ケヴィンの今後について・改善や反省の余地はあるのか

息子ケヴィンと母親エヴァの今後について考えてみました。

ケヴィンはなぜ最後に殺人を行ったのかという点について。

話を追っていく中ではケヴィンは手がつけられないサイコパスだと思っていました。
ですが最後のシーンで母親に少し構ってほしかったようなそぶりを一瞬見せたような気もしました。

最後にケヴィンと母親が面会するシーンで

ケヴィン「これから行くところがどんなところか知ってるでしょ?」
エヴァ「何故あんなことを?」
ケヴィン「分かっていたけど、今はわからない」
ここで母親エヴァがケヴィンを抱きしめるというシーン。

このシーンで、ケヴィンは何を考えていたのか?

①もしケヴィンが人間の心を持っているならば、「辛い、家に帰りたい。母親と過ごす暮らしに戻りたい」と、少しは反省と改善の余地があり「分かっていたけど、今はわからない」とこたえたのだ思います。

②しかしサイコパスであるならば「早く家に帰りたい。なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか。悪いのは全て自分のまわりにいた人間の仕業であり、僕が人を殺したのは仕方がないことなのに」と思い、ここで母親に辛そうな顔を見せておけば早く出所できるかもしれない。もしくは家という今より楽な生活空間が確保できるという計画性から「分かっていたけど、今はわからない」と言ったのだと思います。

※諸説ありますが、ここではサイコパスとサイコキラーを同じものとして話します。

①反省ができるのか、②そもそも反省ができない思考回路を持っているのか。ここでケヴィンとエヴァの今後が変わってくると思うのです。

①であるならば出所後は不器用ながらも母親と関わりを持ちながらやっていくでしょう。

しかし②であれば、更に最悪の事態が予測できます。面会時にちょっと息子らしい弱さを見せておいて、出所後は母親の身も危ないと思います。

果たして、どちらなのか。

この映画を先に観ていた仲のいい年下女性に「どちらだと思いましたか?」と聞かれたのですが、本当に難しいです。
彼は既に殺人を犯した人間であることにかわりはありませんが、思うだけであるならばせめて①であってほしいと思ったのは勿論のことですが、かと言って怪しい部分も見えた気がしました。

①の人との関わりが上手くいかないタイプであれば多少人間らしさや少しばかりの改善の余地はあると思いますが、②のサイコパスタイプであれば人間らしさはなく、反省の余地はないと思います。

①人間らしさがある可能性
・母親から二人で出かけようと誘われた時は拒まなかった
・母親を意識した行動が多く、独り占めしたいと思ったのではないかという可能性

②サイコパス(サイコキラー)の可能性
・幼少期に普通ではない物の扱いが激しいシーンが出てくる
・父親と母親の前で別人格を操る
・妹を召使いのように扱う(しかも妹セリアの片目に洗剤をいれた)
・殺す必要性を感じない生徒まで殺している(単なる快楽殺人)

※よくわからなかった・どちらとも取れる行動
・熱が出た時に甘えていた
①やっと甘えられる理由が見つかったという不器用さによるものだった or ②ここぞとばかりに人間らしさを見せておく手段だった

・エヴァの不注意でケガをした際に父親に「自分のせいだ」と説明をした
①母親を庇った or ②母親に自分のやったことをより責めさせる目的

・母親のみ殺さなかった
①母親と二人で過ごしたかったから or ②母親をひとり残すことで苦しめるため

私が思ったのは、「母親を独り占めしたい」という人間らしさがあるならば、邪魔者になる父親と妹だけを殺していたのではないかと思うのですよね。
ですがケヴィンは殺す必要性を感じない生徒にまで矢を放っているので、この快楽性があると取れる行動がサイコキラーだなと感じました。

ちなみにですが母親を独り占めしたい+サイコパスという
この両方の要素を併せ持つのはかなり難しいのではないか
と私個人としては考えており、
現時点ではどちらかというと「ケヴィンはサイコパスの可能性あり」寄りの考え
です。
所謂、出所してきたら母親のエヴァも身が危ないということです。

旦那も娘もいなくなってしまった自宅で、エヴァがケヴィンの服や部屋を整えている姿を見るとギュッと胸が痛くなりましたが、このようなことについて深く考えていると更に痛くなってきますね...。

時間がある時にでも、もう一度観直すことができたらまた新たな気づきも出てくるかもしれません。


モヤモヤが少し晴れる

本作の前半で個人的にモヤモヤしていたことがあります。
それは母親だけが早期から息子の異常さに気づいていたということです。

ケヴィンは父親にだけ良い顔を見せていたということもありますが、なぜ奥さんの話に耳を傾けることができなかったのか。

旦那に話しても「考えすぎだよ、子どもなんてあんなものさ」と言われるあの感覚。

とてもわかります。

私もいつも周囲の人に「物事を深く考えすぎだ」と言われます。
真剣に取り合ってくれないことに対し非常にイラッとするのですが、その感覚をこの映画を観ている中でも自分のことのように強く感じました。

そしておそらくここによく出てくる私の友達も同じ感覚を持っているのではないだろうかと思ったのです。

自分が何らかの踏み込んだ話をしたら多くの人が「考えすぎだ」と返事をし、興味無さそうにしています。

一方で私が話し相手だと興味を持つ部分や気になる部分が近いのか、一緒になって真剣にその内容について話し合う、もしくは調べ始めるという流れに繋がるので私も彼女も人生で初めてそのような人間に出会ったのではないかということに、この作品で気づくことができました。

例えば私の経験上の話をすれば、やはり過去のあの サイコパスの件 がそのままそっくり当て嵌まります。

友達が「あの人は何の病気、もしくは障がいなのか」ということについて調べ、サイコパスであるということに気づき私に連絡が入る。

私「サイコパスって何!?」と思いネットで調べる。
実は私自身も調べていたものの精神的に拘束された生活に参ってしまい、調べる気力も衰えてしまっていたところだったのでありがたい。

「逃げろ」と書かれてある。どうにかして逃げなければならない。
社員にも伝えておかなければ。

私「あの人はうんたらかんたら、このような考えを持っており」
社員「考えすぎだって

私「考えすぎだと言われてしまった、残念だ」
友達「...悲しいな...」

正にこの流れだなと思いました。

私や友達は「今既に先の危険が見えている気がする、こうである」という説明をしたいのですが、周囲の人のほとんどは「先のことなんか誰にもわからないから、その予測は意味ないよ」といった状態。

やはり人によって考え方は違うものなので、こうなってしまうことは
“多少仕方がない”ことなのかもしれないと改めて考えさせられました。
一生このようなシーンにイラッとし続けながら過ごしていくことになるでしょう。

結果、母親エヴァに自分を重ね合わせることで「同じような人がいるものだな」と思えたので、モヤモヤが少し晴れたような気がしました。


そういえば昨年、ある事件をきっかけにボーガンの所持に条例を定めた土地がありましたね。

これについても「親は趣味云々があるとしても、早々ボーガンに興味を持つ子どもなんていないでしょう」という考えの方、いると思うのですよ。

ですが私が育った土地では見たこともないような危険物を持っている子どもって、結構いました。

大抵が兄弟や父親の持ち物だと言って見せびらかしていましたが、「小学生の頃、自作した危険物を使い公園で練習をしていた人間がいた」という話を友達から聞き、戦慄したことがあります。

練習とは?この戦慄は、何でしょう。


これは果たして「考えすぎ」なのでしょうか。






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