【毒親育ちの夏の思い出】柿の葉寿司と家出
旅にお土産は必要ですよね?
関西の味、思い出の味
食べたことありますか?
奈良の郷土料理「柿の葉寿司(かきのはずし)」を。
首都圏の人は知らない人もいるし、メジャーではないと聞きました。
関西の伝統的な寿司文化といえば押し寿司。大阪のバッテラ、京都の鯖棒鮨と並んで、柿の葉寿司も好きです。関西ではスーパーや百貨店に売ってます。
「押し寿司」の一種の鯖棒鮨。有名なのは京都・祇園四条にある老舗「いづう」ですよね。それは鯖街道があったから。
京料理いえば「鱧(はも)」や「鰻巻き(うまき)」もあります。首都圏ではなかなか食べられない私の好物。別記事で書いてみようかな。
関西に帰省するたびに、阪神百貨店の平宗で柿の葉寿司を自宅用に買って帰ります。
阪神百貨店(阪神梅田本店) 平宗(GoogleMap)。首都圏は玉川髙島屋S・C店に店舗あり
阪急百貨店(阪急うめだ本店) 柿の葉すし本舗たなか(GoogleMap)。首都圏の一部の百貨店、駅弁や空弁としても販売あり
上の2店舗は大阪キタやミナミに店舗があるので買いやすいですが、本当に好きなのは『柿の葉ずしヤマト』。100万本のツツジで有名な大和葛城山に登った帰り、近鉄御所駅近くの店舗で、買っていました。五木寛之『風の王国』のSF小説読んだことがある方は雰囲気が伝わるかもしれません。
自由が欲しかった小学校時代
1) 心は貧窮していた
私は父、母、妹、私の4人家族。私と妹は給食を食べたことがない。なぜなら私立小学校はお弁当持参だったから。裕福な家庭で育ったんだねと言われる。
確かに衣食住に困ったことはない。お年玉は取り上げられ、もらったたまごっちは捨てられ、与えられるのは母が決めたことや物だけ。
2) 母の口ぐせ
ご飯を早く食べろ、勉強しろ、早く寝ろ。働かざる者は食うべからず。何故そうしなければいけないのか、説明を一切しない母だった。
二人揃って母と楽しい話をしたことがない。褒められた記憶もない。口だけでなく手も出ていて、母の叫び声が近所に響きわたり、隣に住む祖母が様子を見にくることもあった。父も祖母も母の折檻は止められなかった。
父は残業して深夜に帰ってくるためフォローしてくれなかった。大人になってから、私と妹と母の関係について、父に謝られた。
3) 自分で考えるのはNG
小学生から塾や習い事に通っていたが、自分で考えて行動した記憶がない。塾に行くと友だちができるよ、習い事をすると新しいことができて楽しいよ、前向きな言葉で会話している親子が羨ましかった。
あれをしろ。これをしろと指示が飛んでくる。もっと遊びたかったわけではない。選択する自由はなかった。どこに向かうか分からないレールの上を歩きつづけるのは苦行だった。
4) 成金と盗難事件
学校も嫌いだった。参観日は香水の臭いが教室内に充満していた。他の人のことを気にしない、成金だらけの保護者。その子女や子息は傲慢さを隠しきれていなかった。
裕福な子どもたちが通っているが、文房具や上履きの盗難や破損事件が頻発していた。私も上靴をズタズタにされて、担任が買ってくれた。買って欲しいと言ってないため、どう反応したら良いか分からなかった。
毎月新しい筆箱を買ってもらえる同級生。それなのに貸したペンのインキを半分使ってから返す厚かましさ。話したことがない同級生から嫌われることも日常茶飯事。
だから、家も学校もどっちも嫌い。楽しいことなんて何ひとつなかった。ただ無気力に家と学校、塾や習い事に出かけていた。そこに一筋の変化が。
小学3年生の夏休み
1) 魔法のきっぷ
小学3年の夏休みのある日。祖母から5000円の磁気カードをもらった。どこにでも行ける魔法のきっぷだ。
夏休みに通っていた英会話教室が休校になった。母はパートに出かけていて不在。自分たち用のオムライス弁当を作った。
真っ暗なリビングテーブルの上に、グラスに入ったカフェオレを置いた。父と母用のアイスカフェオレを初めて作ってから、家を出た。なぜ両親に飲み物を用意したのかは記憶が朧気だ。
母に行き先を伝えないで、おでかけしたのは初めて。冒険心あふれる私と妹は、電車に乗って大阪・梅田へ。
2) 選べるお寿司、柿の葉寿司
大阪はキタとミナミに繁華街が分かれている。オフィス街・繁華街でにぎわうキタの中心地、梅田の阪急百貨店へ。
梅田の阪急百貨店は本店で、西日本一の売上を誇る。何回か祖母や母に連れて来てもらった大好きなデパート。店内もキラキラしていて、当時は本物のシャンデリアがあった。屋上遊園地で持ってきたお弁当を食べて、テントの下で休憩。
お出かけしたらお土産を買って帰らないといけないと、当時は思っていた。電車賃になる磁気カードはもらったけど、お年玉は回収されてしまったから、なけなしのお小遣いで買えるものを選ぶ必要があった。
食料品売り場に行くと、いろんな味の柿の葉寿司が綺麗に並んでいた。一個200円以内。一つずつ買えて良心的だ。店員さんと一緒に、母と父に渡すお土産を選んで買うのは楽しかった。
3) 行きは良い良い帰りは怖い
電車で帰るわけだが、勝手に梅田に出かけたことを母に怒られると思って恐怖心がでてきた。自由に歩きたくて、母を困らせたくて冒険したはずなのに。最寄駅についてから暗くなるまで、家の近くの空き駐車場に隠れていた。
どうしようかと考えている間に真っ暗に。ノースリーブのワンピースで出かけたから、夜風で体が冷えてきたから、怒られるのを覚悟して帰った。母がどんな顔をしているのか見たかったのもある。
4) ノーコメントの母
警察が配備をかける前で大事にならなかったそうだ。祖母は大変心配していたが、母は私たちの家出をスルーした。なぜ?家出をしたかという質問もされなかった。
私たちはあの時の母の顔を覚えていない。覚えているのは、楽しく選んだ柿の葉寿司。
今は幸せになった。柿の葉寿司は帰省土産の楽しみの一つとなった。
じめっとした夏の思い出
当時は分かりませんでしたが、今になって、私の母親は過度な管理、支配、価値観の押し付けをしてくる毒親でした。
社会人になって、妹は私より先に実家を出て一人暮らしを始めました。また、妹は結婚して赤ちゃんを連れて、父方母方の祖母宅に行きましたが、実家の母とはちゃんと会っていません。父と母と妹夫婦と赤ちゃんの5人で外食するので、いっぱいいっぱいだそうです。母、妹、赤ちゃんの3人だけで会うのはしんどいため、まだ行かないそうです。赤ちゃんは一歳になってしまいました。
今は私と妹はそれぞれ家庭を持ち、母と離れて暮らすため、そこまで辛い思いはしませんが、それでも現在進行形で嫌な気分にさせられたことは何回もあります。どこかで書こうと思います。
昔から美味しいものは変わらない。人も変わらない。柿の葉寿司は好きでいたいです。
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