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エッセー
パワハラについて

 近頃、兵庫県知事のパワハラ疑惑問題でマスコミが騒がしいが、僕が若い頃は、そんなのは当たり前の時代だった。高度成長時代だったら、こんなに騒がれることもなかったろう。僕が生まれた少し前は戦時中で、新兵は何の理由もなく上官からビンタを食らっていた。僕が中学生の頃も、先生から往復ビンタを食らった。ビンタを食らって視力が落ちた下級生もいたし、訴訟に発展して教師が退職することもなかった。大体、教師の不祥事は、学校が露骨に擁護するのが常識だった(いまは密かに擁護)。当然それらの暴力先生は生き残り兵だったから、昔の癖が抜け切れなかったのだろう。

 高度成長期を支えていた人々は、戦中戦後のドサクサから這い上がってきた連中だった。そうした連中は一度地獄を見ているから、必死に這い上がろうとするガッツがあった。少々表現はオーバーだが、死に物狂いで働いたのだ。だから生来の怠け者である僕は、そんな時代に戻りたいとは思わない(すでにリタイヤしているが)。同じ仕事を目いっぱい続けていると、人間の脳みそもアリと変わらなくなっていく。僕は脳機能を単純化され、未だにその後遺症を引きずっている。悲しいかな、当時は僕にとって抜け落ちた時間となった。

 こうした時代に機能するのは、軍隊と同じピラミッド型の組織形態だ。これは上意下達のシステムで、上の命令がどんなものであろうと下位の者は達成しなければならない。あるいは達成に向け、死ぬほど努力しなければならない。ある意味、日本を発展させた高度成長時代は、国家総動員体制下の延長戦でもあったことになる。死に物狂いで戦った国民が、名誉挽回とばかりに死に物狂いで稼いだわけだ。サービス残業は当たり前で、家族団らんも、趣味やレジャーも二の次、三の次。会社では、部下の人権はまったく認められなかった。富士山麓に「地獄の特訓」と称して若手社員を叩き直す民間施設があり、研修でそこに送り込む会社もあった。それで当時、日本の成長振りに脅威を感じたアメリカでは、日本人を「エコノミックアニマル」と揶揄したわけだ。

 しかし日本人が金に群がる虫だったわけではない。彼らがワーカホリックになったのは、この厳しい時期を凌げば、誰もが天国のような老後を過ごせると思っていたからだ。彼らにとって、天国は理想だ。人間は理想や目的を持つと、麻薬を打って天国をさらに夢見るような状態になる。そのとき、「労働」が麻薬として機能することになるのだ。一種のマゾヒズムである。そして天国を獲得する手段は、労働しか考えられなくなる。この仕事依存症の状態に陥った人間が上司になると、部下にも同じことを求め、部下がそれをできないと、激高してパワハラが始まるわけだ。
 
 当然、当時の組織でパワハラは日常茶飯の出来事だった。それに耐えた社員が上司になると、同じように部下をしごいた。耐えられなかった部下は精神を病み、退職を余儀なくされる。強い立場の人間が弱い立場の人間を虐めるのは、動物由来の本能だ。そのことはサファリパークを見物すれば分かるだろう。例えば草食動物のコーナーを見るとよい。狭いパーク内で、本来は大人しいはずの草食動物が自分より小さい種を角で追い払う光景を見るだろう。小さい種は、遠慮しがちに隅に固まっている。草食動物はみんな仲良いと思ったら大間違いだ。

 おそらく中高で問題となる「いじめ」も同じようなものだ。社会人になる前の男の子は、体力差で位階秩序を作ろうとするのだ(女子の場合は分かりません)。だからパワハラの根本要因とされる「権威主義」も、動物由来の本能というわけだ。この本能の強い人は、タガが外れるとパワハラを行うし、弱い人は畜群のように大人しく従うことになる。畜群も権威主義体制の一部なら、どこかでさらに弱い立場の人を虐めている。

 だから立場の低い人にも権威主義者はいる。そういう人は何をするかというと、極端な場合、客を虐めたりするわけだ。例えばJRが国鉄であった頃、〇〇駅の定期券売り場のお兄ちゃんは、客虐めをしていた。僕が定期券を買おうと申し込んで、ちんたらやってるので「まだですか?」と聞いたところ、「いまやってんでしょ!」と逆ギレされた。この暴言を吐くために、わざとちんたらしてたとしか思われなかった。運転免許更新所でも、警官リタイヤの職員はみんな威張っていた。国が運営する機関は、全てが上から目線で国民に対応していた。

 だから当時は、支援者にはニコニコ顔の国会議員も威張っていた。オペラかコンサートか忘れたが、若いころ、開演前に上野のコンサート会場内のレストランで夕飯を食った。席は4人掛けの丸テーブルで相席だ。僕のほかに若い女性一人と初老男と中年女性のカップルが座っていた。おそらく夫婦なのだろう、奥さんは美人だった。ボーイが来て注文を取った。そのとき男はオーダーせずに封筒を渡した。それはレストランの招待状だったようだ。レストランはてんてこ舞いの忙しさで、料理はなかなか来なかった。夫婦は注文も出せないままジッと待っていたが、とうとう男のほうが怒り心頭に達してボーイを呼び、「招待状を渡したのに無視された!」と罵詈雑言を浴びせ、夫人がなだめるのも聞かずに立ち上がり、「社長に文句を言ってやる!」と怒鳴って立ち上がり、夫婦ともども去っていった。後で支配人が出てきて、同席の我々に謝罪し、「国会議員さんだったようで……」と悲しそうに呟いた。多分、後で社長からこっぴどく叱られたに違いない。

 知事も含め、政治家になろうとする人たちは、多かれ少なかれ権威主義者だろうし、多くの国民も権威主義的傾向にあることは確かだ。だから勲章などを貰えば、有頂天になるのだろう。そしていまの時代、少なくとも民主国家では、見かけ上は代議士よりは国民のほうが上に位置する。国民の人気が落ちれば、票も落ちるからだ。昔は「先生、先生」とどこからも声が掛かったが、いまはそう叫ぶのは議員どうしか取り巻き、利害関係者ぐらいなものだろう。つまり昨今の政治家は、仮面を被った隠れ権威主義者になったというわけだ。しかし仮面を被ろうが被るまいが、国民が上にあるならば、国民のモードに従わなければならないのは言うまでもない。

 昨今パワハラは禁止されている。国家上昇のために、部下に鞭を与えてきたのは昔の話だ。いまの上司には、部下をおだて励ましながら、部下のヤル気を引き出す能力が求められているのだから……。ならば当然のこと、従来型の組織形態を変えなければならないだろう。適材適所という言葉があるが、その適所とは、部下が心から好きになれる仕事場ということなのだ。



ショートショート
死ぬ女

(一)

 病院の個室ベッドで、恵麻は臨終の時を迎えようとしていた。彼女はまだ50前で、やつれてはいたが美しさは保っている。乳癌が全身に転移していて、医者も今日明日の命だという。彼女は明日天に召されることを予感し、渾身の力を振り絞って看取ってほしい人の名簿を作った。看護師がそれを受け取り、一人ひとりに電話した。

 明くる日まで恵麻はなんとか生き延び、約束の時間になると人が集まった。狭い個室は人々で満たされたが、その中に成人の女性は一人もいなかった。夫と前夫、それに二人の若い男がいた。3人の子も揃っていた。夫との子の小学生、前夫との子の高校生、大学生だ。子供たちは皆、小学生の子まで、まるで他人のように白々とした視線を恵麻に送っていた。恵麻は昔から子供嫌いで、子供も恵麻を嫌っていた。

 夫と前夫は犬猿の仲で目も合わせなかった。夫は前夫の元親友で、前夫の留守に家に忍び入り、恵麻と関係を持った。しばらくは密会を重ねたが、結局恵麻はいまの夫を選んで前夫の家を出ていき、すったもんだの挙句に前夫と離婚して、いまの夫と結ばれた。それ以来、前夫は独身を通していたが、恵麻とも元親友の夫とも会うことはなかった。前夫が独身なのは、恵麻が忘れられなかったからだ。二人の子供は前夫の母親が育てている。

 臨終の場は、永遠のお別れ会になった。
「皆さん、私のお別れ会に来ていただき、ありがとうございます」と、恵麻は鼻に酸素を入れたまま、息苦しそうに挨拶した。
「まず初めに、ここにいらした若い男性二人を紹介するわ。お二人とも、自己紹介してちょうだい」
 皆の目が二人の若者に注がれる。「私は奥様が通われるホストクラブのナンバーワン、錬です」と一人が口を切ると、もう一人が「僕は恵麻ちゃんが通う隣のホストクラブのナンバーワン、翔です」と続けた。夫は驚いた目つきですっかり痩せ細った妻と若者たちを交互に見つめ、前夫は苦笑いし、前夫の子供たちは何の反応も示さなかった。

 夫は呆れ顔して、「具合はどう?」といういたわりの言葉すら発しなかった。前夫は初めから恵麻と会話しようとは思っていなかった。ここに来たのは、長年自分を苦しめてきた女の最後を見たかったし、子供には生みの親の臨終に一応立ち会わせたかったからだが、彼らはしぶしぶだった。最後を見たかったのは、心の底に未だわだかまる未練がなくなることを願ったからだ。未練が消えれば、残るのは苦い思い出だけで、それもいずれは消え去るだろうと考えた。

 誰も口を切らず、沈黙の天使が横切ったあと、彼女は咳をしながら話し始めた。
「翔君と錬君。短い間だったけど、おばちゃんと付き合ってくれてありがとね」と、まずはホストたちにお礼をいった。
「ありがとうはこっちのセリフさ。僕は恵麻ちゃんにぞっこんだったもん」と翔
「それはこっちのセリフ。恵麻ちゃんほど素敵なおばちゃまはいないもん」と錬。
「まあまあ、商売柄お世辞がお上手なこと。私はあなたたちとの楽しかった思い出を天国に持ってくわ」
 すると夫がイライラしながら口を挟んだ。
「もう別れのご挨拶は終わったんだ。二人は帰ってもらっていいね」
「ええ、翔君も錬君もめちゃ忙しい坊やだから、私も賛成よ。でもその前に、お二人ともうちの亭主にいいたいことがあるんでしょ?」
 夫はけげんそうな顔つきになり、翔はもじもじしながら、「ええまあ……」と呟くように答える。
「ダーリン、私、この子たちに借金があるの。よろしくね」
「借金? いったい幾ら!」
 突然の話に、夫は顔を真っ赤にして聞き返す。
「私のお店は300万です」と錬。
「僕のほうは500万」と翔。
「大して多くないでしょ。さあ二人とも、遠慮しないで渡してちょうだい」
 恵麻がいうと、二人は胸ポケットから借用書の写しを出し、両手で掲げ、頭を下げながら夫の傍まで歩み寄った。夫はしばらく躊躇したが、「さあ、早く受け取って!」と恵麻が命令したので、習い性で思わず受け取ってしまった。前夫はそれを見て、心の中で「ざまあ見やがれ!」と叫んだ。若者たちは「ありがとうございます」とユニゾンし、恵麻に向って「頑張って!」とユニゾンしてから仲良く双子のように、朗らかな足取りで病室から出ていった。

(二)

 夫はため息を吐きながら、「もう借金はないのかい?」と優しい口調で妻に問いただす。
「さあ、分からない。だって私はこんな状態だもの。死んだ後のことは、あなたに全部お任せよ」
「でもさ。知っていることは、いまのうちに話してもらわないと……」
 すると恵麻は少しばかりいら立った口調で、「ここは私の最後の実世界なのよ。だからみなさん、私を楽しく送り出してちょうだい」と反論し、「最初に、お二人とも私の前で握手をしてください」と命令した。

 夫は少しばかり震えた手を、前夫に差し出した。前夫はハリネズミのように身構えたが、「お願い」という恵麻の優しい声に、昔の習い性だった条件反射がよみがえり、思わず右手を出してしまった。夫は前夫の差し出したままの手を優しく握り、握手は成立した。夫はそれにとどまらず、涙目で前夫にハグした。前夫は大人にハグされた子供のように、困惑してされるままになった。「これで仲直りは成立ね」といって、恵麻は穏やかにほほ笑んだ。

 それから言い訳のような、演説のような話が始まった。
「私は子供のころから我がままで、いろいろな人たちを傷付けてきたの。でもそれって私のせいじゃない。私の性格のせいだった。私って本当はナイーブな心の持ち主よ。だから自分の性格のこと、いつも悩んでた。あるとき、街角でよく当たる占いの母さんに見てもらったんだ。母さんは叱るような口調でいったわ。綺麗なお嬢ちゃん。命短し恋せよ乙女って知ってる? 綺麗な娘は長生きしたって短命なのよ。あなたの手相を見ると、あなたは子供に恵まれないっていうか、子供を好きになれないタイプ。子育ては苦手ね。あなたは恋だけに生きるべきだわ。だから、そのかわいい顔に私みたいな皺が出てきたら、もうあなたの人生は終わり。そのあとは、昔の思い出だけで生きていくことになるの。生きてたって死んでる人生よ。ならばあなたは短命なのを肝に銘じ、これから自分のためだけに生きるのよ。周りの人間がそれで傷つこうと、そんなことは気にしない。道徳なんて、世間体なんてどうでもいい。天に召されるまで、自分だけの本当に悔いのない人生を歩みなさい。だってあなたは、正真正銘のナルシストなんだから」

 夫も前夫も子供たちも、街頭演説でも聞くように棒立ちで、大人しく聞いていた。恵麻は続けた。
「あばずれっていわれてもかまわない。私は生きたいままに生きてきた。私はそうした生きざまに満足して死んでいくんだ。私、皆さんに謝るため呼んだんじゃない。私のスケープゴートになった皆さんに感謝するために呼んだのよ。なんで人のために生きなきゃならない? 人を傷つけないように生きなきゃならない? そんなの、社会の拘束だわ。だから謝る筋合いじゃない。命は爆発よ。生きることは爆発なの。私、爆弾女なんだ。それを悪女だと思うならそれでいい。でも死ぬ前に、言っておきたかったの。後ろめたい心で、死んでいきたくない。だから、みんなに全てをぶちまけて、地獄に落ちるのよ。でも閻魔様はきっとこういう。この女、トラブルメーカーだから当局では預かりかねる。なら天国だわ。ファウストの魂を救った天使たちがきっと降りてくる。ああ満足。短い人生だったけど、人よりもずっとずっと幸せだった。人に愛を捧げるより、人から愛を捧げられることが好きだった。だって人はみんな、自分があっての愛なんですから……。マダム・ボヴァリーは私よ!」

 恐らく感情の高まりがそうさせたのだろう。死に際には「不思議だわ……」と呟くぐらいに、一時的に体力が回復することはある。彼女の死は、数日後に延びる感があった。帰り際、前夫は二人の子を家に帰し、夫は小さな子を連れ、喫茶店で久しぶりに話をした。二人の会話はまだぎこちなかった。楽しい話題に乏しく、二人ともしきりに「まいったな」を繰り返す。別れ際に夫が呟いた。
「恵麻の死とともに、俺たちも死ぬんだな。まるで蝉の抜け殻みたいにさ……」
「そうさ。思い出だけに生きる男たち、か……」

 恵麻はその夜、祭りのあとのような寂しい部屋で、天国に旅立った。どこへ行っても愛される女として、大勢の天使に恋されて担がれ、神輿のように賑やかに……。

(了)




プロトタイプの君

プロトタイプの若者たちよ
君はその美しさをそのままに
世に出れると思ってはいけない
世の中の荒波に耐えていくには
際立つ君の素敵なエッジを
少しばかり削って
波の抵抗力をかわさなければならないからだ
そうしなければ君はいずれ
大きな渦に巻き込まれてあらがい切れず
パワフルな駆動エンジンまで
粉々にされてしまうだろう
少しばかり海岸を散策してみたらいい
みんなみんな丸くなった石ころたちだ
彼らのエッジは削り取られ
どれも見分けがつかなくなって
お日様のぬくもりを浴びながら
幸せそうに、にやにやと笑っている…





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