第5回毎月短歌 外村ぽこ選
皆さま、なんと再登場です!外村ぽこです!先月に引き続き、今月も人間(亀)選者として好きな歌を選ばせていただきました!
今回も各部門から3首ずつ(誰が詠んだ歌かは見ないで)選ばせていただいております!それでは早速どうぞ!
テーマ詠「食」部門
グッドぽこ賞(三席)
遥かなる川の果てで会いましょう相変わらずパフェを食べましょう/とうこ
まずはテーマ詠「食」部門からの発表です。三席に選ばせていただいたのはこちらのお歌。これは正直、読み解くのが難しい。というか多分できていないです。でも、なんか好き!って歌ですね。
まず上の句で出てくる『遥かなる川の果て』とは一体なんなのか…自分は人生の比喩なのかなと思いました。川の流れの不可逆性や天気によって流量が変わるところがなんとなくそんな感じするなーと。そして行き着く先は海、これが死の比喩なのかな、と。(全然違う可能性も大いにありますが!)
そしてそこで急に出てくる『パフェ』。パフェはフランス語のパルフェが名前の由来でパルフェには完璧という意味があるそうです。そう考えるとなんかどんな人生も完璧なんだって気がしてきませんか?人は死ぬために生まれていて過程がどうであれ死ねば完璧な人生なのだ、みたいな。
自分でも極論だし綺麗事だと思いますが、短歌にはそうゆうものを託したいという思いもあります。好きです。
ナイスぽこ賞(二席)
「彼女とは来んよ」ときみは笑いをり私ビールと酢豚の女/つし
二席に選ばせていただいたのはこの歌。パッと見て片想いの切なさを綺麗に表しているなと思いました。まず『きみ』には彼女がいる。この時点で本当なら諦めるべき恋なのかもしれません。ただ、『きみ』は主体のことを良い友達だと思っていて、何気なしに「飯行かん?」とか言ってくるわけですよ、きっと。主体はささやかな抵抗として「彼女さんに怒られちゃうよ?」とか「彼女さんと行ったらいいじゃん」とか言ってみる。すると『「彼女とは来んよ」』と言われるわけです。切ない。
友達として接してくれている『きみ』に恋心を抱いてしまっているという罪悪感、彼女とはもっとお洒落な店に行くのだろうという劣等感、ほのかに彼女がいるのに思わせぶりなことすんなよという怒りも感じられます。もしかして、もしかしたら『きみ』は下心を抱いているのかもしれませんね。シンプルながら様々な背景を想起させます。好きです。
ベストぽこ賞(一席)
できるだけ優しい人に見られたい鍋を肉から食べないような/ぐりこ
テーマ詠「食」部門、一席に選ばせていただいたのはこちらの歌です。まずこの上の句は誰しもが共感できると思います。ただ、優しい人になるにはそれ相応の犠牲が伴うものです。それをこの歌では『鍋を肉から食べないような』と表現しているところに脱帽しました。
確かに数人で一つのものを取り分ける鍋のような料理には人間性が出るような気がします。自分は主体に近いタイプで鍋から肉を取ることに躊躇してしまいます。多めに食べたでしょとか思われたくない。それなら白菜ばかり取ってちびちびお酒飲んでいる方が心理的に楽です。つまり『優しい人に見られたい』とは究極的に自分本位な欲求だと思うのです。
だけどこの主体はあくまで肉を食べないわけじゃないと思うんですよね。もしかしたら本当に優しい人が「肉食べてないでしょ」とか言って取り分けてくれるかもしれないし、主体はそれを分かっていて待っているのかもしれない。
誰しも共感できることをありふれた景で表現しつつ、優しさの本質に迫るような歌だと思います。好きです。
以上、テーマ詠「食」部門から3首選ばせていただきました!それでは続いて自由詠部門の発表です!どうぞ~
自由詠部門
グッドぽこ賞(三席)
ありがとう 四季があるから少しずつ痛みを傷に変えてゆけます/未知
自由詠部門からまずはこちらのお歌を選ばせていただきました。まず思ったのは言葉選びが綺麗!初句『ありがとう』も強烈に魅せてくれますね。そして続く『四季があるから』という言葉。恐らく主体はとても辛いことがあって傷心しているのでしょう。時間が解決してくれる的なことはよく聞きますがそれを『四季があるから』と表現するのが素敵です。
日本は四季がはっきりしていて、それ故に時間の流れがはっきりと可視化できる国なのかもしれません。あんなに辛かった季節はもう次の季節へ移り変わっている。そしてまた、同じ季節がやってくる。そのとき、痛みはわずかに和らいで傷になっているのかもしれません。時には、ノスタルジーから古傷が痛むことがあるでしょう。それでも確かに主体は前に進めているのだと、そうゆう風に思わせてくれる綺麗さがあります。
初句『ありがとう』が日本に生まれたことに対してだとしたら短歌という日本独自の文化を用いていることにも響きあうようですね。好きです。
ナイスぽこ賞(二席)
古くなりテフロン加工が剥げ落ちて、こびりついてる日々 炎 愛/久我山景色
二席に選ばせていただいたのはこちらのお歌です。『テフロン加工』ということから恐らく主体は古くなったフライパンを使って料理をしているのかなと思います。長いこと使われたフライパンから果てしなく続く日常が想起されますね。自分はなんとなく主体は母親かなと思いました。いつものように古いフライパンを使って家族に料理を作る。いつものように食材がフライパンにこびりついてしまう。平凡でありふれた何の変哲もない日々を『こびりついてる日々』と表現しているのでしょう。
ここまで読むとある種の侘しさが感じられますが結句の『炎 愛』で一気に見える景色が変わるようです。フライパンを熱する美しく揺らめく炎、そこから作られる料理が間違いなく家族の身体を作り、命を育んでいる。たとえ義務感のようなものだとしてもそれはもうどうしようもなく主体にこびりついてしまっている愛なのだと思うのです。日常のワンシーンをとても美しく切り取られた一首だと思いました。好きです。
ベストぽこ賞(一席)
海を読む 貝殻ばかり集めては二人索引みたいに並んで/未知
自由詠部門一席はこちら、まさかの未知さん再登場です!おめでとうございます!こちらも言葉選びが秀逸すぎますね。まず初句の『海を読む』ですがぶっちゃけ意味が分からない。どうゆう意味だろうと思いつつ二句目に進んでいくと、なんて言うか、パッと目の前が開ける感じというか一気に綺麗な景が飛び込んでくるようです。
『二人』は海にいて、せっかく海に来ているのに泳ぐことはしなくて『貝殻ばかり集めて』いる。それを是とするか否とするかは本人たちにしか決められない。それでも二人にとってそれが正解になるのは似た者同士の二人だからだと思うのです。それを『索引みたいに並んで』という比喩で表すのが鮮やか過ぎますね。
読み終わってああ、綺麗だなと思ったところで初句の『海を読む』が蘇ってくる。そうか、これが二人にとっての海の読み方なんだと思える。集めた貝殻が二人の夏の栞のようにも見えてきます。とても美しい言葉と景を見せてもらいました。好きです。
というわけで以上で自由詠部門の発表を終わります!最後は11月の自選短歌部門です!全部で200首以上投稿していただいた中からの3首です!どうぞ!!
11月の自選短歌部門
グッドぽこ賞(三席)
肉まんの断面ひとつ差し出され覗くと冬の入り口でした/あひる隊長
まず三席に選ばせていただいたのはこちらの歌です。上手さが際立つ一首ですね。『肉まんの断面』を『差し出され』たことから主体は肉まんを半分こしてもらったんでしょうね。ここまでは言葉を選ばなければありふれた景と言えます。だけど下の句が秀逸ですね。
恐らく本当に断面を覗いたわけではないのでしょう。でもまるで異世界への扉のように、その断面に引き込まれるような錯覚を覚えたのだと思います。とっくに気温は下がっていて、世間は冬になっている。だけど、主体にとってこの肉まんを分け合ったこの瞬間こそが冬の始まりなんでしょうね。
もしかしたらこれが初めてではないのかもしれません。相手とコンビニかなにかに寄って二人で一つの肉まんを買って分ける。今年もまたこの季節が来たなという感慨にふける。そうやって読んでも素敵です。いつまでも、何度でも、こうやってこの二人には幾つもの冬を重ねていってほしいです。好きです。
ナイスぽこ賞(二席)
私このトイレをきれいに使うらしいドアにテープで貼られた予言/宇井モナミ
続いて二席に選ばせていただいたのはこちらのお歌です。なんだろう、なんか上手く言語化できないけど惹かれてしまったお歌ですね。コンビニのトイレとかに「綺麗に使っていただきありがとうございます」みたいな張り紙ありますよね。見たことある人も多いと思います。確かにあれって自分が綺麗に使う前提で書かれているんですよね。
恐らくそうしたほうが綺麗に使ってもらいやすいとかきっと心理学的な要素があるんだと思いますが、よくよく考えたら変な感じしますよね。何でこっちの行動を勝手に決められなきゃいけないんだ的な。でもきっと主体は綺麗にトイレを使うんだと思います。プロパガンダ的な、トイレは綺麗に使うものだって刷り込みがありますからね。
日常のこのシーンを切り取ってくるのかという着眼点の素晴らしさと、まるでそれが性善説すら信じさせるような力を持っていることを『予言』で増幅させてくるようです。好きです。
ベストぽこ賞(一席)
えげつない猥談をするカップルが図書館にいる手話をつかって/深山睦美
11月の自選短歌部門の一席はこちらのお歌を選ばせていただきました。いやー、すごいですね。一読した時のインパクトが半端じゃないです。初句から『えげつない猥談をするカップル』ですからね。聞いている方としてはめちゃめちゃ気まずいけど絶対どんな話をしているか気になってしまう…と思ったら図書館!受験勉強中の高校生とかでしょうか…最近の若い人は進んでるなー、でも図書館でそんな話しないでほしいなーとか思っていたら結句で『手話』が出てきて一気に世界観が複雑になる。
静かにしないといけない図書館だから手話なのか?それとも聴覚障害者のカップルなのか?てか何で主体は手話が分かるんだ?色んなクエスチョンが浮かんだ後に今まで当たり前だと思っていたものがぶっ壊される感覚があります。
えげつない猥談だって立派なコミュニケーションで彼らにとっての大切な愛情表現なのかもしれない。今、近くに座っている人は障害者かもしれない。人の数だけある当たり前に気づかされるようでした。好きです。
終わりに
ということでこれで全ての賞を発表し終えました。前回、投稿していなかった人が投稿されていたりしてとても嬉しかったですね。もっとこの毎月短歌が活気づいてほしいと心から思います。スペースでは佳作のネクストぽこ賞も紹介してますので良ければ聞いてください!
ではまたどこかで会いましょう!ばいばい!👋