誕生日を迎えること
鬱病10年生、ついに35歳になった。
1月18日。
この日生まれた有名人は結構多くて、誕生日占いでは決まって
”リーダーシップをとる”
なんて書かれている。
ビートたけしさんや森山良子さん、サッカーの長谷部誠選手、最近有名なところでいうと山崎育三郎さん。その他、本当に多いのだ。
なんか、スターが多いから後付けなのかな?
私がリーダーシップをとる、率先して前に出てみんなを動かすということが、今までどれだけ苦手な人生だったか、、、、、、
25歳で鬱病になって、10年経つ今もなお治療しているとは、本当に夢にも思わなくて。
産んでくれた親の元でいまだに養われの身。
去年、誕生日前夜に病みながら書いた記事がこれだ。↓
情けない気持ち、状況も、このと着ているパジャマも何もかも変わっていない。
でも、
今日、35回目の誕生日を迎えて思ったことがある。
10年で、コロナさんとは関係なしにどんどんひとと会わなくなっていって、連絡もとることが苦痛になってきた中で、
いまだにつながってくれていて、
この日には必ず連絡をくれる、
私の存在を思い出してくれている、
忘れないでいてくれているひとが、
片手で数えるほどだけど、
いてくれるっていうことが、
心から、嬉しかった。
メールとか、LINEとか、インスタのDMとか。
きっと、連絡がなくても、思い出してくれているひとも、いるかもしれないし、いないかもしれないけど、いいの。
年を取ったっていうネガティブより、今年は、
私を忘れないでいてくれてありがとう
という、胸にしみるような気持ちになった。
家族は、私がお金に困っていることはわかってくれていて、
お小遣いをくれた。
ずっと、ずっと行けずにいた、美容院に行ってこようかなって言ったら、
いいねーって、みんな言ってくれた。
しあわせなことに目を向ければ、私は、本当にしあわせだ。
十分だ。
そして、妹が、私が気に入っていたけど高くて買えなかった箱入りマスクを、何気に買ってきてくれた。
ありがたい。本当に。
、、、、、、一方で。
実は今日も、夜の母の憂鬱な時間に、過去のあらゆるひとに受けた苦しみを私に吐き出し続けたので、正直心は参っている。
2回飲んでいた頓服薬を、3回目飲もうかと思ってしまったほど。
母を苦しめたひとを、どうにか懲らしめよう(マイルドに言うと)と考えたり、動き出したくなってしまうほどに、過剰に共感してしまうから、本当にやばい。
何かしでかしてしまうのではないかと、自分が恐怖だ。
こんなこと言っても、大丈夫なのかもわからない。
母の愚痴を、娘として普通に聞ける人間になれないから、本当に参っている。
誰か、母の話を聞いてくれるひと、、、といっても、母には私しかいない。
第三者になってしまうと、話す前に前置きが必要だしややこしくなる。
言いたいように言わせておいてあげたい。きっと、それだけで楽になるんだから。
でも、感情のコントロールができない。
しかも、
母自身も、自分の母が生きていた頃、電話で永遠に続く職場やら近所の愚痴を聞き続けてあげたらしく、それを言われてしまったら何も言えない。
私は、いったいしあわせなのかな?
今日、私の地域にしてはめちゃくちゃ雪が積もった。
サポステに行ってきたが、行っている場合じゃなかったなと思うくらい積もった。
今日いちにちでどかっときた。
母が全部やってくれた、ごめんね、、、、、、
愚痴くらい、普通に聞いてあげたいよ、、、、、、
こんな情けない姿、生体のままでも、生きていかなくては。
サポステからバスへ向かうときの融雪路に映る、束の間の青空が綺麗だったので、貼っておこう。
しあわせと苦しみ、もうすこし噛み締めて、力に変えていけるひとに、なれますように。
負けるな、自分。