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とりあえず年末年始から今までのこと書かせていただこうの回
あけましておめでとうございます、にはだいぶ遅れてしまったが、
こんな年越しは初めてだ。
Wordの検定に向けて、サポステが休みの年末年始だけテキストを貸してもらったし、筆記も含め勉強がんばろう!と意気込んでいたが、もう、それどころではなかった。
これは、私が非常事態に弱いこと、メンタルの病気であること、基礎体力がないこと、などなど理由があり、ニュースを観ていると全国的にそういう事態が起こっていたと思う。
そんなことで、と思われたら申し訳ないのだが、とりあえず書かせてほしい。
いい歳して実家暮らしの、鬱病13年生無職の私。
でも、ここにきて、なんだか人に恵まれているし、家族が今までこうして私を家においてくれていること自体も当たり前ではない、感謝だ、と思えるようになってきていた。
父の長期休みとなると、いつもなら母の機嫌を父が損ね続けるが、父、ウン十年間も母の思い通りにできなかった我が家の敷地の雪かきが、ようやくできるようになった。母がそれに喜んでいた。人の成長ってスピードが違うんだねと。男性が雪かきという力仕事をしてくれると助かる。
(父は、雪かき含む家のこと諸々をすべて母に平気で任せてきた人生だった)
そのタイミングでの年末年始休みに入り、父、母、私の3人で、お茶を飲んでたわいもない話をしているとき、ふと、
「今、すごく心が穏やかだ」
と感じた。
鬱病の私はいつも焦燥感に駆られていて、ゆっくりしている自分に気づくと勝手に焦って”何かやることがあったのでは”とおろおろする。ずっとそうだった。
それが、この12年で初めて、心からゆっくりできていることに気づいたのだ。
でも、
そんなこと、続かないんだな、やっぱり、、、、、、
とにかく健康体が長所である父が、
何があっても食欲だけは満点の父が、
12/30日の朝、朝食を残した。
母と私は大慌て。
それくらいいつも父は健康で、食事を残すなんてことがないのだ。
(ちなみに、食パン1枚半は食べている)
(常人なら十分)
聞いていくと、夜あまり眠れずにいたと言い、この真冬に暑い暑いと汗をかいている。
測るとやはり熱があり、頭がとにかく痛いらしい。
救急外来に電話すると、発熱したてではもろもろの検査結果が出にくいから、受診はもう一日待ったほうがいいとのこと。そこから父は寝室で寝込む。
母は、12月に入ってから咳や鼻水が出ていて、一度内科に行っている。その薬でよくなってきたが、飲み終えた後に再通院はしていない。咳が続いていて、でも本人がもう病院には行きたくないと言うので、無理強いができなかった。
私的には、母は今確実に免疫が弱っているのでそこに父の何かしらがうつって悪化したら、という心配もあった。
翌日の大晦日、父の診断はインフルエンザA型。
とにかく寝室に隔離。
夫婦で寝ているが、母はその夜居間に布団を運んできて敷き、紅白のNumber_i、そしてB’zに大熱狂。
、、、、、、だが、
あけまして元日。
母に体調を聞くと、夜、暑くて眠れなかったというのだ。
ずっとストーブと床暖がついている部屋だからかなと思ったが、とにかく体も痛いと言う。
暑い暑いと汗をかいていた父を思い出した。
熱を測るよう促すと、どうも37℃台後半。
ああ、、、、、、、
私、何か、2人の食べるものとか、いろいろ面倒みられるだろうか。
次の日、母はやはりインフルエンザA型の診断を受け、夫婦は一緒に隔離生活になった。
私は家にいるがこんなおろおろする病だし、妹は土曜祝日関係なく仕事。
困ったのは、母が、食にこだわりのあるひとだということ。
具合悪いときに、ただでさえ食べられるものが限られるが、おかゆもゼリー系も食べない。
しかも、診察を受けたら結構気持ちが元気になったようで、父のおかゆを作るなどのために台所へやってくるのだ。
動けるからと。
もう、気が気じゃない。
でも私も、もともと料理は母の仕事として任せている状況だったし、買い出しに行こうと思っても、今の2人に適切な食べ物が何も思いつかない。
父はいいが、母の食べたいものが気分によっても違うし、
「自分の作ったものが食べたい」
と、、、、、、
私は任命されたことだけ、やることになった。
さすがに母が買い物に行こうとしたときは止めようと思っていたが、
「自分でキノコがみたい」といわれたときは止められなかった。
しかも、年末に雪かきで母の株を上げた父だったが、夫婦で一日同じ部屋にいる間に、また父の態度その他に関することで母がイライラし始め、私に愚痴りにくる。
感染症的には良くないが、母のメンタルヘルス的には必要な私との時間だった。
結局、父は自分がよくなることしか考えられず、母が頭が痛いからテレビを止めてほしくてもガンガン流していたり、母も具合が悪いのに食事を「お願いします」と当たり前に作ってもらえるものと思っていたりする。母が具合が悪いということに対し、思いやりがない。その態度が耐えられなくなり、インフルエンザをきっかけにまた母の”夫源病”的な状況が復活してしまった。
私のできることまっとうしているつもりだが、両親を無理させないように行動できない、思うような食事を提供できない、そのせいで母は、という自責の念も生まれ、そして自分もかからないように気を張る、担当以外の家事もやるなど、身体ともに疲弊してしまった。
推しのインスタライブを流して落ち着きつつ、両親の夕食後静かになったら、ようやく検定のためにタイピングを、、、、、、
という感じの生活をしていた。
父は無事月曜から出勤して元気だが、母は父と過ごしたストレスもたたって、食欲がなかなか戻らなかった。父に対するイライラを聞き、睡眠や具合の悪さによる苛立ちでの八つ当たりも受け、、、、、、
そして、今に至る。
母、食欲がようやく戻ってきたようでほっとしている。
推し関連、だいすきなバンド関連でも、いいニュースがたくさんあった。
本当はそういう楽しいことを書きたいが、
本当にそれどころではないメンタルだった。
検定、もっと対策したかった。
サポステには行ける状況だが、いろいろ不安がある。
私の受ける検定の1級を受験するのが、その会場で私だけらしい。会場となっている場所でなんだかイベントがあるだのないだのという話も、、、、、、
その関係で、だいたいの時間を知らされている状況。
そして、
実技としてタイピング、文書作成の課題があるが、
私が問題ない、なんとかなると思っていた文書作成の方も、なかなか審査が厳しいらしい、、、という情報を最近得てしまった。
それを聞いてしまったからか、
昨日、文書作成の問題に家で取り組もうとしたけれど、
初めて
”やりたくない”
と思ってしまった。
サポステでPCを学び始めた頃、
1級の問題がカラーの入った文書作成で、
たのしそう!
と思ったことを覚えている。
それなのに、ここにきて、それに対して拒否反応が出ているのは、
本当にまずい。
どうしよう。
タイムをもっと上げないといけない。
大丈夫と思っていたのに、大丈夫でないのかもしれないと思ったら、なんだか、もう。
疲労困憊の年末年始を越えて、検定まであと3週間というところで、結構メンタルがやられていることに気づいてしまった。
検定、受けると決めたしお金も払っているので、
実力が伴わないとしても受けるしかない。
でも、
ダメだったとき、それによるダメージがその後鬱病の症状を悪化させないか心配だ。
あんなに、年末までは自信があったのに。
これが第2次のスランプだとしたら、なんとか、ここを抜けたい。
そう思いながら、
いつも、推しのふたりにクリスマスパーティーをしてもらっている。
FCに入っていないので一緒に年越しはできなかった。
いつまでもこの2024年の彼らに癒されている。
ただふたりで笑い合っているのを見ているだけで、少しだけ息ができるから。
もう少し、頼らせてくれ、、、、、、
私の運がよかったことといえば、
とにかくインフルエンザがうつらなかったこと。
キリンの免疫ケアを信じて飲み続けている。
これ、本当に今季を乗り切れたら、結果にコミットしていることになるぞ。
そして、
我が地域に大雪が降らなかったこと。
背中を痛めていて、
両親が寝込んでいても雪かきができなかった。
それをやって、ぎっくりを再発させたら誰も動けるひとがいなかった。
妹を休ませるしかなかったかもしれない。
※青森の方がいらしたら、本当にごめんなさい。心よりお見舞い申し上げます。どうか安全に過ごされますようお祈りいたします。
うん、私はネガティブだが、運が悪いと思ったことはない。
そういう自分をもう少し信じてあげられたら。
あと、3週間もある。
なんとかなる。
きっと私はがんばったし、がんばっている。
どうか、明るく、心も体も健康に、検定まで過ごせますように。
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