私がちゃんと休むには、理由が必要みたい
私は今、鬱病無職の実家暮らし。
働いていない、独身、親のすねをかじっている30代。
傍から見れば、ずいぶん気楽なご身分だな、なんて思われるだろう。
でも、私の心の中、頭の中は、誰も想像できないくらい、常にせかせかしている。
とにかく忙しい。
”なんで?”
、、、、、、なんて、自分でも思うけれど、
規則正しい生活しなきゃ。
担当家事ちゃんとやらなきゃ。
体動かさなきゃ。
昨日歩けなかったから今日は散歩いかなきゃ。
○時までに△△やらないと母が、、、、、、
”ねばならない”にいつも縛られている。
鬱病になる前の自分もそうだった。
このぎすぎすした担任同士の雰囲気を和らげなきゃ。
0歳児クラスなんだから穏やかな雰囲気作らなきゃ。
私がやらなきゃ。
行かなきゃ。
他のひとがやらないなら私が雑用やらなきゃ。
、、、、、、こんなの、潰れるひとの見本でしかない。
神様は、”もう無理だから、そこを離れなさい”、という意味で、
私に”鬱病”という病名を与えた。
謎の不調が続いていろんな科を回って、3か月たってようやくその病名を聞いたとき、正直、心が軽くなった。
私は、自分の心の限界に気づきにくい。
でも、ちゃんと体に現れてくれることが分かった。
昨日、モップをかけていただけでなってしまった、人生2度目のぎっくり背中。
今朝、起き上がって
”あっっ、、、、、っそうだった”
と思い出す痛みがある程度ではあったが、あとはとにかく”無理をしない”と決めた。
洗濯を干したり、皿洗いはできて、昨日よりはだいぶいい。
ただ、背中をかばって腰に負担がかかったり、軽い頭痛がしたりしていた。
ちょうど、両親が午前中出かけてくれたので、我が家の唯一の冷房スポットであるリビングで、涼みながら、録画した『お笑い二刀流』を見ながら、あたたかい玄米茶を飲みながら、ひとりで、ゆっくり過ごした。体だけでなく、心も許すことにした。だって、動いたら悪化してまたみんなに迷惑がかかるだけ。安静。
午後も、寝ながらYouTubeを観た。そしてよく寝た。
昼寝をすると、自分を責める傾向があるのだけれど、今日はいい。
今日は、ぎっくりだから休んでいいの。
自分に言い聞かせないと、心が休めないし、何もしていない自分を責める癖がある。
私が休んだり、誰かにお願いしたり頼ったりするには、ときどき、理由が必要だったりする。自分を納得させる理由。
本当は、いらないのかもしれない。
もっと、ゆるやかにすごしていいのかもしれない。
でも、心がまっすぐ反応してしまうメンタルのまま、「甘えるな」と喝を入れる母と同居していることもあり、なかなかそうはいかない。
”母はこう言うけれど、私はこうだ!”と、強く思えるようになるまでは、こういう、何か”理由”が必要みたいだ。
理由があるときは、罪悪感を捨てて、ちゃんと休もう。
心も休ませられるチャンスだ。
ときどき、甘えてもいいよね?
こんな酷暑だし、コロナさんがいるし、北東北の明けない梅雨でまだムシムシ湿気もすごい。
冷房のある、実家のリビングで休めることは、家族のおかげだ、ありがとう。
素直に思えるのは、ちゃんと休めたから。
さぁ、無理せず明日も生きよう。
皆様が、心身共に元気にすごせますように。