聴くこと話すこと、日に日に苦しくなる
何か、、、、、、母が、ずっと喋っている。
もちろん、永遠にではない。
寝たり食べたり、心を落ち着かせるためにPCのゲームをしているときは大丈夫。
何かハマったもの(推しやTVに関して)、そして過去の人生における嫌だったこと、旦那(私の父)や舅姑への愚痴やされたこと、などなど。
テンション高い話も、鬱々とした話も、私がいるとずっと話している。
母の話が終わらないとき、用事ができて途中で私が去っても別にいいとは本人も言うが、
15年ほど前、それで母がぶっ倒れたのが忘れられなくて、どうしても聞いてしまう。
今日、24時間TVでヒロミさんが作った子ども食堂の特集が観たいと、日テレをつけていた。
妹も休み、父も返ってきて4人で食事しながら流していたが、
24時間TVでみかけて知っている場面が出てくると、大興奮の母は
「これ凄いと思ったの!ああでね、こうでね、そして今○○が✕✕するんだよ
よ」
と、ネタバレ付きの副音声。
自分が感動したことを観てほしいみたいだ。
私の席は、TVを背に受けているのでほとんど音のみ。
そして、正面で母が目を輝かせて熱弁する。
私も母も、メンタルクリニックに通っている。
母は軽度鬱病(おそらく)、私は鬱病でお互い長患い。
興奮してくると感情を押さえられない母。
そして、
私は私で、調子が悪いとき副音声状態が苦手で、TVなどが流れている状況で話を聞きとれない。健康なひとなら、複数の音声が流れていても自分に必要な情報をおのずと判別して聞き取ることができるが、私の今の体調では同じような音量、情報量で聞こえてくるため、脳内が混乱しぼーっとしてくる。
でも、TVより母の顔が見えるため、なんとか私が相槌を打つことをがんばっている状況。
「ネタバレ含む副音声だね」と、笑いを交えて母をいじったりはできる。
「ごめんねー全部話しちゃって!」と母も笑って言う。
「いいよ、いつものことだから」とまたいじる。
こうやって言い合えるからまだいいかな。
ただ、後から何か母の中で気になって、私が攻撃を受けるかもしれない。
いつもそういう心づもりである。
自分が言ったこと、言われたこと。
後になってから、ああだったかな、なんでこんなこと言うんだろうor言ってしまったんだろう、、、、、、
それも、ふたりともそっくりだ。
すぐには言い返せないし、ひきずる。
そして、自分の言ったことも後になって気になってしまう。
ちなみに、妹や父は母の多重音声に対し反応したり、うるさいと思う感じもない。健康だからか、気づいてもいないのか。
でも、いい感じに適宜、会話をしている。
家事を終えて自分の部屋にきた私は今、脳みそというか、耳が塞がる感覚が強い。
きっと、母の話を聞き続ける毎日は、私にとってストレスなんだと思う。
そこに私がいると、母は何かしら、ずーーーーーーっと話している。
話題は変わっていっても、尽きないのだ。
母と似ている私は、病気になってから気づいたが、母と同じく話したい側の人間だ。
どうしても話に関連したことを言いたくても、口を挟もうとするとかぶせられるくらい、母の話は止まらない。
だから、どうしてもというときは
「はい!」と手を挙げることにした。
これが結構有効で、
先日行った整形外科の先生も早口で話し続けるので、聞きたいことをちゃんと聞くために「はい!」と言ったらこちらに意識を向けてくれ、疑問は全て解決できた。
ただ、
母の場合、私の発言のせいで自分の話と変わってしまった、私が母の気に障るようなことを言ってしまった、ネガティブな話になってしまったなどしたとき、めちゃくちゃ機嫌を損ねる。
私は、「ごめんなさい×∞」のモードに入ってしまう。
最近ショックだったのが、
ついに、
推しの話をできないのか、という現実を突きつけられたこと。
ここに何度も書いているが、
5人時代のKing&Princeが『ichiban』をパフォーマンスしてから、私は心を奪われ、もともと平野紫耀さんがすきでバラエティなどを観ていた母と共にKing&Princeの話を聞いたり、音楽を聴いたりたのしめていた。
私は永瀬廉さん、母は平野紫耀さんがすきで。
でも、皆様ご存じの通りほどなくして、King&Princeから3人が脱退することに。
平野紫耀さんは脱退、永瀬廉さんはKing&Princeを継続することとなった。
苦しい時間を共にし、でもお互い、5人、6人みんながしあわせだといいねって、思える親子だった。
現在、King&Princeは永瀬廉、髙橋海人のふたり。
STARTO ENTERTAINMENTにグループとしてエージェント契約しつつ、
2人だけの会社も立ち上げ、King&Princeの歴史を守りつつもっと新しいエンタメを作ろうとしている。
平野紫耀、神宮寺勇太、岸優太の3人は、TO BEに所属しNumber_iというグループで活動している。米国のコーチェラフェスなど様々なステージで活躍し、唯一無二の音楽を生み出している。
私も母も、みんながしあわせに、という思いは今も変わらないはず。
でも、
だんだん、苦しくなってきた。
私と母の日常というと、
母が、「紫耀ちゃんは○○でさーーー」と推しの話に熱が入ると、
私も負けじと「廉がこのあいださ、」と言い合う感じになっていて、
特にそこに争いがあったわけではない。
私は、母が流しているTO BEやNumber_iのライブ映像を、普通にたのしんで観られる。
でも、母は現在のKing&Princeを「pizzaのすきなアーティストって感じ」というスタンスで見ている。自分から、2人の歌番組を観たりはしない。ただ、「2人には感謝しているし元気でいてくれてよかった」と思っているようだ。
ただ、母なりに思うことが、私には言わないけど、あったのは感じていた。
誰も悪くないし、今の3人がしあわせそうな顔で音楽をしていることは間違いないが、いろいろ、King&Princeの2人に対してではなく、思うことが、会ったのだろうと思う。
それが、先日、実際に、母の口から出てしまった。
その話の内容も、前後関係も何もかも忘れてしまった自分にも驚くが、本当に覚えていなくて、ただ、
「廉と海人とは違うでしょう⁈」
、、、、、、と。
きっと、私が何かしら、紫耀さんに絡めて2人の話をしてしまったのだと思う。
”現King&PrinceとNumber_iについて”の話が本当にデリケートな内容であることは、とっくの昔にわかっている。
SNSがひどいから。
でも、
もう、私は、この家で、
King&Prince、永瀬廉と髙橋海人について、話してはいけなくなるのかと思ったら、どこに話したらいいのかと。
SNS(X)は、それこそファン同士の揉め事をみたくないので今極力控えている。
ここに記事として書くにも、内容がぺらぺらではあんまりだし、文章にするほどのことか、と言われたら、、、、、、と、消化せずに終わらせてしまいそうだ。
母は、明日もきっと「紫耀ちゃんってさぁ!」と熱弁し続ける。
もともと、私は”しょうれん”の関係性がすきなので、すぐに廉さんの顔が浮かぶ。
でも、押し殺す。
母に、
話すなと言うことはできない。
だって、母も話し相手が家族しかいないし、私が話を聞いてあげないでまたダウンしたり、最悪の状況になったら私は生きていることをやめたくなると思う。
私が見殺しにしたと。
また私のせいで母が倒れたと。
推しのめりこんで語るだけでなく、母の幼少期からの実家の複雑な事情、社会人時代の黒歴史、旦那のせいでひとりで家のことと子育てを全部やってきたこと、舅姑にされた嫌がらせの数々。
母が語るそれを、私は無視することができない。
しかも、きいているうちに、感情移入過剰の私は、母を苦しめるひとを衝動的に許せなくなり、何か行動を起こしそうになる。
できないけど。
狂いそうになる。
特に、父のことに関しては、一緒に暮らしているので、
本当にもう、理性を失ったら恐ろしい。
「あなたはそうなっては(父に激怒するなど)いけない」
と母に言われるけれど、意味が分からない。
じゃあ私に言うなよ、と言いたいが、それもできない。
母の情緒によって、家の空気が変わる。
逆鱗に触れるのは、父の行動が多い。
土日が嫌い。
先日、昼食時にも父に対する母の怒りがおさまらずにいて、昼食前からのことだったので父もうまく言葉にできないまま珍しく限界がきたようで、
食器を ”がちゃあん!!!!!” と投げて部屋を出ていった。
(怖くて目にしていないが多分食器)
私は、
驚きすぎて
「ぎゃああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
と悲鳴を上げパニックになった。
久しぶりだった。
普段怒らない父がブチ切れたこと。
男性はその気になれば人を殺せるパワーを持っていると思っていること。
それがあって、恐怖で理性を失った。
、、、、、、そして。
「あ、、、、、、また手紙きたらどうしよう、、、、、、」
「私のせいで手紙きたらどうしよう、、、、、、」
という、次の恐怖が襲ってきた。
※”手紙”については、この記事の最初にさらっと。
母に対して、推しのことやそれ以外のこと、何を言っても気に障るような気がして、なんだか発言がずっと怖くて、心がずっとぎゅーっとなっている。
そこに、父のブチギレがあって、もう爆発した。
通院、サポステなどで、ひとりの時間があったら結構安らげる。
ついでに買い物(ウィンドウショッピングでも)をして回り、たくさん歩いて歩数を稼いでアプリのマイルをためて。
それ以外の外出は、母に車で連れて行ってもらわないといけない。
車の運転を控えているし、背中を痛めてから自転車も乗れず、今年は皮膚が弱くて日光の下を歩けない。地方なのでそれほど交通機関も、、、、、、
最弱王に私はなる、つもりはないのに。
どこかとおくへいきたくなる日々だ。
痛めていた背中がようやく回復しつつある中、感情のコントロールが厳しい。
昔から、言いたいこと(反論)が言えない人間だったのを思い出した。
小学校のころ、よく特定の男子(かわるがわる)にいじめられていたが、嫌なことをしても、あまりに私が怒ったり何か言ったりしないので、どこまでやったら反応するのか様子をみられていたんだと思う。
それくらい、「やめて」「嫌だ」とか、何も言わない子だった。
今も、言えていない。
”え”
と驚いたっきり、言葉が出てこない。
とはいうものの、
母からすると私の言うことは上から目線だという。
それに腹が立つと言われることがある。
感謝の気持ちが足りないと。
一体、私の考え、発言って、何が正解なんだろう。
明日、サポステに行くからとりあえず家を離れられる。
そして、
将来的なことも不安だし、信頼しているYさんに担当をしてもらって、長いこと休んでいたキャリアカウンセリングを再開しようという話にもなっている。
話を聞いてくれるひとがほしい。
ただ、誰でもいいわけではない。
私は疲れている。
多分、疲れたときは疲れたって言ってもいい。
私のほうが疲れてるに決まってる、なんて、ここでは言われない。
自分軸で生きられたらいいなあと思う。
自分にしかベクトルが向かないのとは、違うんだと思う。
(私はこれだと思う)
私は私、と、堂々と生きられる日々を、いつか送れますように。