![osusume_ソzan_ソ19](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/5635370/rectangle_large_411bf1f1fc6818345c1d4e379dfe903b.jpg?width=1200)
「静かに垂れた手」(一部無料記事)
ヘルマンヘッセのシッダールタの中で「静かに垂れた手」という言葉が、印象的に何度か出てきます。独特の雰囲気がある言葉だと思います。
若き日のシッダールタは、仏陀を見て、顔や歩き方とともに、手を観察していました。観察している中で、この言葉が使われています。
「静かに垂れた手」とは、どんな手でしょうか。
手は、握る(グーをする)ための筋肉と開く(パーをする)ための筋肉がついています。開くことに比べて、握ることの方が、私たちの生活の動作では圧倒的に多くあります。また腹を立てたり、何かに怖くなったり、感情的なものによってグッと握り拳を作ったりもします。
産まれたばかりの赤ん坊の手を触ったことがある人は、その手の柔らかさを思い出してください。緊張が、その手にはまだありません。私たちの手は生きていく中での癖や習慣、生きていく上での反応によって、何かを握ったような状態が普段の手の形になっていきます。その手には、緊張がこびりついているとも言えます。
緊張した手は「静かに垂れた手」と対極の存在です。とは言え、赤ん坊の手とも違います。赤ん坊の手が柔らかいのは、まだ生命がはじまったばかりだからです。「垂れた」という言葉からはもう少し奥行きを感じさせます。無垢さなどとはまた違った印象を受けます。何かが抜け落ちて、垂れたといったプロセスの後の状態を想像させます。
私たちは「肩が凝っている、ほぐれている」といったように、肩の状態の変化については関心を持っています。その緊張は自覚しやすいですし、巷には肩凝りを揉みほぐしてくれるマッサージ屋さんも実際にたくさんあります。ですが、上腕や前腕、手の緊張に対して働きかけるマッサージは聞いたことがありません。
ゲームを長時間したり、長くものを書いたりして、前腕がだるくなった時は、その場で揉んだりするでしょう。腕や手の緊張はその程度で解放されるはずもないので、蓄積されていきます。腱鞘炎のように問題が深刻化しなければ、そこに関心を注ぐことはなかなかないのかもしれません。
ここから先は
¥ 100
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?