【おはなし】 ドーナッツのひとびと②
わたしは歯を磨いてる。
お店のドーナッツを棚のはしからはしまで、ぜ〜んぶ食べたから念入りに磨いてる。
「歯ブラシセットあるか?」ってエプロンを巻いてるおじさんに聞いたら「そんなもんないわ」って言われたから「じゃあ、買って来て」って答えたら、おじさんが買って来てくれた。
「おっちゃん、ありがとう。でもな、歯磨き粉がないで」
「そんなもん、しおつけてみがいたらええんや」
「そうなんか?」
「そや」
おじさんは厨房の中に入っていくと、小皿の中に塩を入れて出て来た。
わたしは納得できなかったけど、いっぺん試したろ、っていう関西のノリで今チャレンジしてるところ。
歯磨き粉の代わりに歯ブラシに塩をまぶしながら磨いていく。あまいドーナッツをたくさん食べたから塩は多めにまぶしておこう。
ジャリ ジャリ ジャリ
歯ブラシがわたしの歯に塩をこすりつけよる。
歯磨き粉に比べると、つーんと鼻に抜ける爽快感は感じられない。ちょっとさみしい気もするけど、目を閉じると、もっとおおらかな気持ちになれるから不思議。
わたしは海の中で泳いでいる。
エメラルドグリーンの透き通った海水の中。わたしはイルカと一緒にゆらゆらと泳いでる。砂の上を横歩きしてるカニがわたしにジャンケンを挑んできた。わたしはチョキを出してあげる。カニは両手を広げてわたしを見送ってくれた。
だんだん深い場所へと泳いでいく。
透き通った海水を照らす太陽は深い場所には届かない。わたしは少しこわくなる。イルカが「キューン」と鳴いてわたしを励ましてくれる。
もっと深いところへ潜っていく。
赤と黄色のしま模様の魚がわたしたちのまわりに集まって来た。
「ねえ、あっちにいくとね、沈没船があるよ」
とっても気になることを教えてくれた。
「じゃあ、連れてって」わたしは魚に頼む。
「でもね、もう、時間切れだよ」
「どうしてそんな意地悪をするの?」
「だって、あなた、そろそろ息をしなくっちゃ大変なことになるわよ」
「そっか、忘れてた」
わたしはくちのなかの塩水を洗面台に吐き出した。大きく息を吸い込むと咳き込んでしまった。
ゲホ ゲホ ゲッホ
「オイ、だいじょうぶか?」
知らないおじさん、じゃなかった。さっきはドーナッツ屋さんの社長だったおじさんがわたしの異変に気づいて入口のドアをノックしながらさけんでる。わたしは早く無事を知らせてあげたいけど、塩水が肺の中に入って苦しくて返事ができない。
ゲホ ケポ クッポ
「オイ、おとがおかしなことになっとるど」
おじさんは入口の外からわたしの様子をうかがってる。ここは女性専用の化粧室だから、さすがに社長さんでも入ってくるのはむずかしい。中にはわたしがいるのだから。
キュポポ クルル シューーーッピ
「オイ、どないなっとるねん。ねえちゃん、だいじょうぶか?」
ふふっ あはは へへへっ
「オイ、さすがにそれはむりがあるやろ。ええからはよはみがきしてでておいでや」
おじさんが離れていく足音が聞こえる。
「社長のおじさん」を「変質者のおじさん」に変えてやろうと思ったのに、失敗してしまった。
わたしはくちの中をゆすいでいく。
ぶく ぶく ぶく ぺちょ
ぶく ぶく ぶく ぺちょ
ぶく ぶく ぶく ぺちょ
3回くらいでだいじょうぶかな。
ドーナッツをいっぱい食べたわたしは、くちの中で踊ってる砂糖を退治したかったのだ。
桃太郎はオニを退治した。
おばあさんが作ってくれたキビダンゴのおかげ。ダンゴにはたっぷりの砂糖がまぶされていたはず。じゃなかったら、イヌもキジもサルも協力してくれるはずがない。
砂糖は怖い。動物たちを狂わせる。
せっかく平和に暮らしていたのに、おっかないオニ退治に連れていかれるなんて。
もしもキビダンゴにまぶされていたのが塩だったら、動物たちは協力してなかったはず。
「なんだこれ、ペッ。オマエをやっつけてやる」
イヌとキジとサルに桃太郎はやっつけられていただろう。オニの代わりに。
砂糖の代わりに塩を使っていたら歴史は逆転していたのだ。
わたしはくちの中で踊ってる砂糖を退治した。
おじさんがくれた塩と歯ブラシのおかげ。
化粧室を出たわたしが席に戻ると、おじさんが座っていた。
「ねえちゃん、くるしそうやったけど、だいじょうぶやったか?」
「途中までは平気やった。でもな、おっちゃん・・・」
「おん・・・どないしてん?」
「変な幻覚が見えたで。あれ、ほんまに塩か?」
「おもろいこというな。ただのしおにきまってるやろ」
「ほんまか?」
「ホンマや」
「・・・そうか。じゃあ、信じたるわ」
「まだわしのことをうたごおとるみたいやな」
「100%は信用できへん」
「そりゃそうか。わしら、きょうはじめてでおうたもんな」
「せや」
「でもな、げんかくいうんやったら、わしにはねえちゃんこそ、みわくてきやけどな」
「ただのロリコンハンターやろ」
「なんでそんなこというねん」
「だってな、うち、この服装してたらな、やたらとモテるんやもん」
「ふくそうだけじゃないとおもうけどなあ」
「もっと、うちのこと褒めてくれてもええんやで」
「せやねんけどな、わし、あきてきたからかえるわ」
おじさんは席を立つとドーナッツ屋さんを出ていった。出ていくときに店員さんたちから「お疲れ様です」ってあいさつされてた。
わたしはお冷やをひとくち飲んで足を組み替えると、次のカモを探した。
おしまい