エッセイ | ~しながら
世の中には、ひとつ1つのことを順番に終わらせてから次の作業へ移っていくことが好きな人と、いくつかのことを同時並行的にこなしていくことが好きな人がいる。
一般的に、仕事ができる人は「同時並行」的に、目の前の事案を処理することができる。
わたしは、例えば、ご飯を食べているときはご飯を食べるだけ。人と会話しながら食事をすることが苦手だ。ご飯を食べ終われば、少なくとも、テーブルの上の食器を流しにもっていき、テーブルの上をきれいにしてからでないと、次のことへ移行することができない。
職場などで、新聞を読みながらご飯を食べている人を見かけることがあるが、わたしには絶対真似できない。テレビを見ながら、食事をするのが関の山である。
床屋で髪を切ってもらうときもその気質は変わらない。「テレビをつけますか?」と聞かれても、「いえ、つけなくて結構です」と反射的に答えることが多い。基本的に静かにうたた寝していたい。
やらなければならないことが複数個ある場合、優先順位の高いものや締め切りの早いものから順番にこなしていく。
最初に書いたように、「ひとつひとつ派」より「同時並行派」のほうが仕事ができる人だとすると、わたしは仕事ができない人ということになる。事実、間違いなくわたしは仕事ができないと、自分でもそう思う。
今はどうか知らないが、昔は「~ながら勉強」はよくない、と言われてきた。「話しながら勉強」「テレビを見ながら勉強」「遊びながら勉強」「食べながら勉強」などは、行儀も悪いし、効率もよくないなんてね😄。
しかしながら、今思うと、「遊びながら勉強できる人」「遊びながら仕事ができる人」「勉強しながら仕事ができる人」のほうが、カッコいいなと思う。
わたしはそういったことが苦手なので、とても生きづらい。わかっていても、なかなか染み付いた気質・性格を直すことは難しい。音楽をききながら机に向かうということもできない。好きな英語の勉強をするときも、聞き流して学ぶということもできない。聞くときは聞くことしかできない。器用な人がうらやましい。