謎かけ問題集 | 因果関係を哲学する
序。
言葉の字面の意味は分かっていても、改めて考えてみるとよくわからないということがある。
例えば、「因果関係」という言葉。「『原因』と『結果』との関係」ということだが、何が原因で何か結果なのかを確定することは予想以上に難しいものだ。
この記事では、「因果関係」について、哲学的に考えてみたい。とは言っても私は哲学者ではなく、「妄想哲学者」である。学術的なことは詳しくない。しかしながら、考えられるところまで考えてみたいと思う。
(1) 「因果関係」と「相関関係」
因果関係について考察する前に、因果関係と混同しやすい「相関関係」について触れておきたい。私も混同しているかもしれないが、思うところを書いてみる。
「因果関係」
「因果関係」のイメージは、「原因」があって、その後に「結果」がつづくような関係である。原因が先にあって、その結果は後に来るものである。数直線で表してみるとこんな感じ(↓)。
「下剤を飲んだ後に、トイレに駆け込んだ」のならば、「下剤を飲んだこと」が原因で、「トイレに駆け込んだこと」は結果である。
「相関関係」
因果関係に対して「相関関係」においては、(因果関係とは異なり)どちらが先でどちらが後かということは、基本的に問題とならない。
例えば、「身長」と「体重」との関係は「相関関係」と言って良いだろう。
一般的に、身長が大きいほど体重は大きく、体重が大きい人ほど身長が大きい。
身長が原因で体重が重いのでも、体重が重いから身長が高いのでもない。ただ、身長と体重には深い関係がある。
Q. ここで問題
「『ピカッ』と『ドドーン』」の関係は「因果関係」か?それとも「相関関係」か?
今、ここまでに書いたことを踏まえて、雷が鳴ったときの、「ピカッ」という光と、「ドドーン」という音の関係について考えてみてほしい。
光✴️のほうが、音の届くスピードより早いから、「ピカッ」のほうが「ドドーン」よりも早い。
因果関係とは、原因が先で、結果は後につづく関係であった。しかしながら、「ピカッが原因で、ドドーンが結果だ」とは普通言わない。なぜだろう?
何故だか、考えてみてほしい。
私は「ピカッとドドーンの関係」は「相関関係」であって「因果関係」ではないと思うが、あなたはどう考えるだろうか?
(2) 「因果関係」の謎。
哲学は倫理ではないから、少し物騒な例を挙げてみる。
例えば、「ある男がカッとなって、殺人事件が発生した」という状況を想定してみる。
ある人が言った侮辱的な言葉に対して、言われた男は激怒してしまう。そして、侮辱した人を殺してしまった。
この状況とその記述のみを元に考えると、「ある人が言った侮辱的な言葉」が原因で、「殺害」がその結果である。
たまにこういった事件をニュースで見るが、その後の続報がなく、簡単に「因果関係」を決めつけるようなことがある。
しかし、社会的に重大な事件になると、現在までにいたる犯人の境遇のみならず、その親や兄弟のことまで「真相究明」と称して「原因」に数えられることがある。話が広がってくると、「原因」が変わりうるということは、比較的よくある話である。
揚げ足取りのようだが、犯人が生まれてきたことが事件の原因だと言えないこともない。また、「犯人が生まれてきたこと」が事件の原因ならば、その両親が出会い、子どもを作ったことが、事件の原因だという論理も成り立ちうる。
もうひとつ、物騒ついでに言えば、「飲酒運転による事故」の因果関係も本当は難しいものである。
飲酒により、スピードを出し過ぎて事故を起こせば、「飲酒」が原因と考えるのが一般的である。
しかし、これもちょっと考えると妙なことになる。
例えば、「もっとたくさん飲んでいれば、もっとスピードを出していた」と考えれば、少なくても、実際に事故に遭った人は助かったかもしれない(他の人が犠牲になるかもしれないが)。
まとめ
事件や事故に限らず、「因果関係」が問題になることは多い。
「真相が知りたい」と嘆く人は多い。しかし、本当に因果関係なるものがあるのかどうか、私には分からなくなることがある。
「真相を知る」とは、当事者間の「納得」であったり、「責任追及」のことを意味する場合も多いように思う。
「何故私が犠牲になったのだろう?」という問いの答えは、もしかしたら「たまたまだった」のかもしれない。
あまり政治的なことはいいたくないが、「歴史問題」と呼ばれるものも哲学的な問題を含んでいる。
一般的に「歴史認識」とか「歴史問題」ということが問題になるとき、「第二次世界大戦」や「太平洋戦争」あたりを指すことが多い。
しかし、人によっては豊臣秀吉の朝鮮出兵だって「歴史問題」になりうる。元寇だって「歴史問題」。
法的な処理の問題はさておき、人の「恨み」や「原因追及」は一筋縄では行かない内在的な問題を含んでいるように思われる。
「因果関係」とは、私にとって非常に難しい問題だ。理解したと思っても、ちょっと考え直すと、また手からすり抜けてしまうのだ。