コメント欄で付和雷同
先日、とあるコメント欄で明らかな私の悪口を見かけた。
私の記事に書いた相手のコメントに、私が返事を書かなかったことを責める内容だった。
相手が被害者めいたことを呟いていて、フォロワーの同情を誘い、付和雷同して私の悪口を書きまくっているから、きちんと反論させていただく。
まず、相手方が伏せている状況をきちんと説明する。
私は先日、とある方の訃報を聞いたことを記事に書いた。
その記事について、いくつかコメントをいただいたが、私はいただいたコメントに「スキ」を押すだけにとどめた。
訃報の記事であり、それぞれの方にそれぞれの思いがある。余計なことは書きたくなかったからだ。また、コメント返しをする気持ちでもなかった。
その記事を書いてから、24時間も経たないうちに、相手方は名前こそ出さないものの、明らかに私のことを責めるかのようなつぶやき記事を書いた。
私がコメントを書かなかったことに恨みをもち、コメントを削除したという内容だった。
まず、違和感を持つのは、どんなコメントにも返信しなければならない義務なんてあるのだろうか?、ということ。
基本的に私はどなたにも平等に返信している。人で選ぶことはしていない。ここは事実とは異なる悪口なので、きちんと書いておく。
2つ目に感じる違和感は、コメントの返信は、すぐにしなければならないものなのか?、ということ。
訃報に関する記事だったから、確かに、私の悪口を書いた人についてだけでなく、どなたにも返事を書くつもりがなかったのは認める。しかし、私はその間に「コメントを書く」とも「コメントを書かない」とも、何も言っていない。
コメントって、そんなに早く答えなければならないものなのだろうか?
私に関して言えば、コメントに気がついたときには、なるべく速やかに書いているつもりだが、書きにくいコメントの場合や多くのコメントが重なったときには、2、3日後に書くこともある。
過去記事を含めて、50件以上のコメントが重なることはザラにある。申し訳ないけど、すべてのコメントに返事を書けないこともある。
何度も今までに書いているが、コメントが書かれたといっても、必ず返事を書かなければならないという義務はない。
返事をもらえず、不愉快になるのなら、相手方をフォローしなければいいだけのことではないか?
私の記事のコメント欄のルールは私が決める。あなたのコメント欄のルールはあなたが決めればよい。
私の記事のコメント欄では、私のコメントのルールに従ってもらいたい。
あなたの記事のコメント欄では、あなたのコメントのルールに従うつもりだ。
私は基本的には、すべてのコメントに返事を書くつもりでいる。
しかし、私の記事の内容に直接関係のない、自分語り的なコメントには、リアクションしにくい場合もある。
また、訃報記事には、コメントは書かないようにしている。私が何か書くことで、その人の思い出をけがしたくないからだ。
この記事に関して、私はコメントしません。
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