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既視感を持つのはなぜか?

 アンリ・ベルクソン(著)(合田正人・松本力[訳])「物質と記憶」(ちくま学芸文庫)。最初にこの本を読んだのはだいぶ前のことだ。
 最近、本棚を整理しているときに、ちょっとだけ読み返した。



 哲学書というものは、関心のあるところだけを切り取って読んでも、その著者の思想の全体像を把握することは出来ない。
 また、一通り全部読んで、「わかった!」と仮に思えたとしても、著者の主張を完全に捉えられていないのが常である。その意味で哲学書の読書というものは常に、「誤読」なしに済まされるものではない。

 しかも、著者の意図を完全に読解出来たとしても、それは哲学ではない。単なる「読解」の域を越えるものではないし、私自身が哲学したことにもならないからだ。

 ではどうすればよいか?
 哲学的センスをもつ天才ならば、何の哲学書も読まなくても、哲学することは可能だろう。しかし、凡人でも哲学することができるとすれば、断片的であれ哲学書を読み、その部分をきちんと理解した上で、徹底的に断片にこだわり考え抜くことを通してだろう。

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