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短編 | ゆく河の流れ
生まれた人間がこの世に滞在するとは、河の流れに浮かぶ泡のようなもの。魂が宿る人間の体は、仮の住まいに過ぎない。地位や名誉を求めてなんになろうか?
私は余生を自分の思索のために費やすために都を離れて、一人狭い庵に住むことにした。人の往来はほとんどない。
日記ではないが、日々思ったこと、感じたことを紙にしたためる生活を送っている。
人と比べない生活とは実に清々しいものである。心を乱されることは少ない。心が乱れることがあるとすれば、それは己の心に残りし邪心によるものだろう。しかし、日々内省ばかりしていると、たまにではあるが、私と同じ考え方の人間はいないのだろうか?、と夢想することも多くなる。
ある日のことである。畳の上で座禅をしていたとき、庵に異様に明るい一筋の光が差し込んできた。未だ嘗て見たことがない明るさだった。これはもしや死というものなのだろうか?
どうやら私は気を失っていたらしい。気がついたときには、湖のほとりに仰向けに倒れていた。
辺りを見回した。ここはどこなのだろう?見かけたことのない風景が広がっている。どうやら森の中の、とある湖に私はいるらしい。目を凝らすと、庵らしいものが見える。丸太で出来ている。初めて見る作りの建物だ。
私は恐る恐るその建物に近づいた。とにかく所在地を確認したいと思ったのだ。
「私は鴨長明と申す者。どなたがいらっしゃらぬか?」
しばらくすると、私の前に一人の男が現れた。
「Ah, 鴨長明さんですか?いや~、まさかホントにあなたにお会いできるとは。身に余る光栄です。私はヘンリー・デイヴィド・ソローと申す者です」
そこには、目の青い、鼻の高い一人の男が立っていた。
「ソローさん?妙なことを伺うが、ここはもしや異国の地なのか?」と尋ねると、ソローは微笑みながら言った。
「無理もありません。ここはアメリカという国です。あなたの住む日本からは、距離も時代も隔たっています。しかし、あなたの著した『方丈記』という随筆は、清少納言の『枕草子』、兼好法師の『徒然草』とともに、日本三大随筆として、現在でも世に知られています」
「左様ですか?清少納言と呼ばれる女性のことは存じ上げております。しかし、兼好法師という男は存じ上げません。いずれにせよ、後世にまで私の思いが届いているのは光栄です」
「無理もありません。私の生きている時代はあなたの生きた時代より六百年以上もあとですから。現在は紀元1846年です。私も、あなたと同様に、世の中の喧騒から逃れるために、昨年の7月4日からこのウォーデンの畔で自給自足の生活を始めたのです」
私にはピンとこない話ではあったが、ソローの話を聞くうちに、「sympathy」を感じた。シンパシーとは「共通の心」という意らしい。私は後の世について、彼の庵の炉端にて、ソローに質問を浴びせた。
歓談の中で、我が国から遠く離れたこの地に住むソローという男が、何故に東洋思想に関心をもったのかという疑問が徐々に明らかになった。
米国という国は合衆国らしい。キリストの教えに従いながら、異国の者の幸せをも願い、多くの民族を統合していった理想郷なのだと。しかし、彼は大いなる違和感を持ったという。
合衆国が成立したのは、1776年。歴史が浅い国の思想は浅すぎる。模索する中でソローが出会ったのが歴史ある東洋の思想だった。仏陀をはじめ、孔子や孟子を読み込んでいったという。彼の関心がシルクロードの果ての日本に到達するのは自然の流れだった。もちろん、十分な翻訳が行われていたわけではないが、仏典や論語の断片を読み込むうちに、東洋思想の全体像が見えてきたらしい。
「これこそが私の求めていた哲学だ!」
ソローは欣喜雀躍した時のことを懐かしげに語った。この地に住み始めたのは、東洋思想の「無常観」に心を揺り動かされた結果だったという。
話が進むにつれて、ソローは私の「方丈記」の冒頭を諳じてみせた。
The flowing river does not cease, and yet the water is not the same as before. The bubble repeatedly appears and disappears and never stays long.
「この書き出しは私が読んだ東洋の文章の中でも、名文中の名文だと思っております」
この書き出しは、なにげに書いたものに過ぎなかった。流れゆく河の流れに自らの人生を見たということを述べたに過ぎない。
「長明さん、あなたの言葉は、私の生きる現代に、遠く離れた外つ国にまで届いております。しかし、残念ながら、私はまだあなたの文章を最後まで読んでおりません。ぜひ、最後まで完結させてください」
ソローの言葉を聞いたとき、私は『方丈記』を最後まで書き終えるまで精一杯生きることを決意した。
「あ、雨が降り出しましたね。今日はゆっくりとお休みください」
炉端で私はうとうとしてしまった。気が付いたときにはソローの姿はなく、私は元の我が庵に戻っていた。
誰も読むとは思っていなかった私の随筆が後世に届いたことを知り、私は今まで以上に書くことにのめり込んでいった。
~おわり~
登場人物は実在した人物ですが、言うまでもなく、ファンタジーです。
鴨長明とソロー。どちらも好きな人物なので、対話させてみました。空想に過ぎませんけど😊。
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