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小説内の会話について
ディーン・R・クーンツ(著)(大出健[訳])「ベストセラー小説の書き方」(朝日文庫)を一週間くらい前から読んでいます。
小説家を志しているわけではないけれども、もう少しうまく書けるようになりたいな、と思っています。
「どうせノウハウだけだろ?」という気持ちで手に取ったのですが、この本自体が小説のようで楽しく読んでいます。
小説を読んでいるときには、とくに気にかけていなかったのですが、自分で書く時に毎回悩むのは、どのように会話文を書くのかということです。
登場人物が1人だったら、会話は必ずしも必要ない。登場人物が2人だったら、交互に会話を並べるだけでいい。私が自分で小説を書こうとする時にけっこう苦労するのは、その場に3人以上の登場人物がいるときです。
たとえばA、B、Cという3人が登場して会話するとき。ただ会話を並べると、誰の発言か解らなくなりはしないかと心配になるのです。
だから、次のようになりがちです。
「・・・」とAは言った。
「~~~」Bは主張した。
「✕✕✕」とCはため息をついた。
上のように書けば、誰がどの発言をしたのかはハッキリしますね。けれども、リズムが悪いのです。
「とAは言った」「Bは主張した」「とCはため息をついた」というのは、小説の流れを悪くします。
だから、小説では、そのような言葉は極力省略したい。できれば会話のやり取りだけで、誰が言ったことなのかわかるように書き分けられたらいいのに、と私は毎回迷います。
前掲のクーンツの本の中では、私が疑問に思っていたことに軽く触れています。
クーンツが言うには、若干の例外を除き、直接話法のほうが(間接話法よりも)望ましいとのこと。
間接話法を用いるのは、長い会話文が続くとき、二、三行程度でリズムがよくなる場合。
ただ「言うは易し、実践は難し」です。
リアルな場合、たとえば会社で会議したり、教室で討論したりするならば、いちいち「誰が言った」と言わなくても、その場にいれば明らかです。けれども、小説の場合、「声色」は伝わりません。
可能ならば、登場人物の性格を反映したような発言、口癖などを考える必要があります。
いつでも妥当する「これが正解!」という書き方はないんですよね、結局のところ。
ただ、いったん書いたあと、会話だけで誰が言った言葉なのか解るだろうか?、と問うことは、推敲の過程で考慮したほうが良いでしょうね。書いている本人にはわかっても、読者が分からないようでは、読者に無用な負担をかけることになります。
小説を書くって難しいな、と思います。
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