エッセイ | 他人も自分も変わりゆくから
文学賞って意味あるのかな?、と思うことがある。
文学的に価値が大きい作品が選ばれるべきだと考えると同時に、純粋に文学的な価値を評価する難しさを思う。
小論文ならば文字数制限があり、問いに関して忠実に答えているかという観点があれば、採点者によって多少ブレがあるにせよ、客観的な評価は可能だろう。
良い小説とは何か?
良い文章とは何か?
「こういうのがうまい文章だ」「こういうのが良い小説だ」という具体的な例なら、誰でも1つや2つ、挙げられるだろう。しかし、「うまい」「良い」という感覚を抽象化して、「うまい文章とは○○である」「良い小説とは✕✕である」と言おうとした途端に、言葉に窮してしまうのではないだろうか?
同じ作品を読むにしても、中学生や高校生の頃に読んであんなに感動したのに、今、読んでみると、なぜその時に心を動かされたのかわからないということはあり得る。その逆に、かつてはなにも響かなかった作品が今になって読んでみると、とても感動するということもある。
本には、その人の成長過程に応じて、読むべき時期というものがあるのだろう。もしも、昔読んだときも、いま読んでも感動する本があるならば、それは幸と言うべきか、それとも不幸と言うべきか。
もし、いま、あなたの書いた作品がまったく評価されなかったとしたら、嘆くべきか?
もしかしたら、遠い未来になって読んでもらったら、あなたの作品をけなした人を感動させることがあるかもしれない。
いま自分の書きたいことは今の自分にしか書けないから、たくさん書いておこう。他人の評価をいくら気にしないと言っても、まったく気にせずに書ける人は少ないだろう。
いつか理解される時期が来るだろうことを期待して、書き続けよう。他人の評価が変わる日を夢見つつ。
他人に評価されなくても、いまのあなたの精一杯を、紙面・画面に刻んでおこう。
追記
中途半端になっていた下書きをそのまま出します。。
何を書こうとしていたんだか、自分でもよく覚えていない🤔。
わたしの質問
*「以下につづく文章」とは、この記事の本文のことです。
ジェム兄さん(Gemini)の答え
文章の要約
この文章の筆者は、文学賞の評価基準や文学作品の価値について疑問を投げかけています。
文学作品の評価の難しさ:
文学作品を客観的に評価するのは難しい。
「良い作品」の定義は人によって異なり、時代によっても変わる。
同じ作品でも、読者の年齢や経験によって感じ方が異なる。
文学賞の存在意義:文学賞は、必ずしも文学的に価値のある作品を選べているとは限らない。
作家のモチベーションを上げる一つの手段かもしれないが、過度に評価に振り回されるべきではない。
作家へのアドバイス:作家は、他人の評価に一喜一憂せず、自分の表現したいことを書き続けるべき。
作品の価値は、必ずしも発表された時点では評価されないかもしれない。
将来的に自分の作品が理解されることを期待して、書き続けていくことが大切。
まとめ:
この文章は、文学作品や文学賞に対する固定観念にとらわれず、多角的な視点から考えることの大切さを教えてくれます。作家を目指す人だけでなく、文学作品を読む人にとっても、考えさせられる内容と言えるでしょう。
補足:筆者は、文学賞の存在意義を否定しているわけではなく、文学賞の評価基準の難しさや、作家が抱えやすい悩みについて言及しています。
この文章は、作家を目指す人だけでなく、文学作品を読む人にとっても、文学作品をより深く理解するためのヒントになるでしょう。
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