激論 | 問答無用!嫌いなフレーズ神セブン。
自分でも使ってしまうことがあるが、次のような言葉を頻繁に使う人は嫌いだ。
①「~すべきだ」
歳を重ねていけば、想定しないことも数多く経験するもの。60歳を越えても、「~すべきだ」を連発する人は、たいてい頭がおかしい。
②「私流」
大海の一滴に過ぎないし、ほかにも数多くの人が思い付く発想にもかかわらず、いちいち「私流」だの「オレ流」だのネーミングする人。ホントに自分がお好きなんですね。
③「ポリシー」
ポリシーと言えば、「政策」を意味する。「私のポリシーは~」なんてわざわざカタカナ使う必要はない。「私の信条は~」のほうがかっこいい。
④「~を考える」
これは私も使うが、他人が使っているのを見るのは嫌い。
「~を考える」と言いながら、すでに結論ありきの場合がほとんどである。
普段思っていることをぶちまけただけのことが多い。要するに、あらたまって「~を考える」といいながら、自説を述べているに過ぎないのだ。しかも、そもそもの前提条件が奇妙なことが多い。
⑤「どうなる○○?」
ドラマの感想文に、「どうなる○○?」なんて仰々しいタイトルをつける人。
本当は「絶対こうなるはずだ!」という気持ちで見ているくせに、万が一、自分の予想が外れたときのために保険をかけている。いさぎよくない!
⑥「リケジョ」「レキジョ」のように、いちいち「○○女」と言うBBA
理系の学問が好きな女も、文系の学問が嫌いな女も、理系の学問が嫌いな男も、文系の学問が好きな男もいる。
学問に性別は関係ないでしょ?なぜにことさら「~女」と女を入れたがるのか?
360度どこから見てもBBAでいいではないか!
50歳・60歳過ぎたら、男も女もない。ただの年寄りだ。いつまでも「おじさん」「おばさん」と呼ばれることに抵抗感を持っているのは、「青っケツ」老人だ。
もちろん、生まれ持った体力差はあるから、陸上などのスポーツで「男」と「女」に分けることに異論はない。しかし、将棋・囲碁など、知的な分野において、男女を分けるのは違和感をもつ。
⑦拡散希望
こういうことは、いちいち書くな!
本当に共感を集めた記事は、「拡散希望」と書かなくても拡散していくだろう。
「被害者」ぶってる奴が、実は一番の「加害者」であることも多い。当事者間のもつれは、普段の経緯を見ていない者には分からないことだらけである。
「○○に殴られました。こんなひどい目に逢いました」
最後の場面だけ見れば、そうなのかもしれない。しかし、毎日毎日、小さな嫌がらせを受けた末の、最後の一撃かもしれない。
大して深い付き合いもないのに、「拡散希望」に乗っかる輩は大嫌いである。