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Photons の中の人です。 日々のお話を書きます。 映像、デザイン、パフォーマンス ご依頼承ります。 むしろ、一緒に 創り ませんか? HP ✔︎ https://photonsphi.jimdofree.com

最近の記事

頑張る事をやめてから。

僕は昔から、努力だとか頑張る だとか。 部活をしていた時の自分にとってエナジーだった。いつ報われるか分からないけれそその瞬間は”いつか“にあって走り続けたものだけがその甘い蜜を吸えるのだと。 頑張る って言葉を反芻して、言葉の解釈を何回も重ねて。 自分で自分の背中を押し続けて。 頑張る。 頑固に踏ん張る。我を張る。 我を張る。その張り詰めた状態で保つ事など不可能。あとどれだけ身を削ればいいんだろうなどと考えてしまうのも無理はない。ある時、頑張ることに飽き飽きして”

    • あいさつのできない人類の生産性っていくら?

      第三次産業に属するいわゆるサービスに従事している人間を観察しながら 挨拶もろくにしないレール型なステレオタスクをこなすだけの人類の生産性を考えていた。 たとえばスーパーのレジ打ちするのに、会話もコミュニケーションもサービスの加算も無いのであればそれは、無人レジでできるので人は要らない。 対人と接する業務なのであれば、何故これをマテリアルな人間を使わないといけないのか、労働しなければならないのかを考えることは今更感むき出しだ。 企業や組織側の経費やコストカット問題もある

      • 物の価値がわからなくなってから。

        小さき者たちによるお誕生日会にて。 ケーキを頬張る姿を見ながら考えていた。 大人の特権とやらを使って、まだ幼かった頃には手につけられなかったケーキを手にすることは容易い。決定権があるがゆえ、選択肢も多い。自分の好きなように選べる。両親から選択を迫られることはない。 苺の輝きと、チョコレートのドリーミーな誘惑にかられることも。 どちらか1つを選ばなければならない苦渋の決断をしなくもいい。 ダブルで手に入るから!!! なんなら。 今からGoogle検索かけて一番美味そ

        • 誰かを応援するエンタメ

          前回書いたのはエンタメ業界に潜んでいるドロドロとしたもの。の一部でした。まぁ断片しか書いてないのでこの件はまた書きます。 今日は、その産業を支えている“民”と“イコン”について。 たしかに、アイドルだったりアニメだったり。登場人物に何か心の一部を通わせる感覚というのは存在していて。コンテンツを作る時って産業と関わるのなら切っても切り離せない関係であることは市場価値を提示するためなら自明である。 昨今、もはや社会実験とも取れるような個性と多様性に富んだ、一強ではなくマルチ

        頑張る事をやめてから。

          エンタメの影を見てたら、

          どうもこんばんわ、おぐです。 ちょうどこの前、アートとエンタメの共存について考えていたのですがやはりマクロで見た時なかなかそれを区別してフレーミングするのができないのだろうなと思うわけです。 このツイートはかなり本質をついていると思ったのでここで書き上げておこうと思うのであります。 たとえば、オンラインサロンであったりファンクラブであったり。反動の裏返しがどこかに依存するのは当然のことでネット環境の普及は同じ旗を掲げる、ここでは心理の反動だがそこに集まるインフラを加速さ

          エンタメの影を見てたら、

          Calling 〜その好き。大切にできていますか?〜

          どうもおぐです。 Calling って英語ではただの通話するって意味だけじゃないのご存知ですか? 天性の使命 という語源的意味を伴うんですね。 サブタイトルは、 その好き、大切にできていますか? でした。 もうお気付きですか? 好きを大切にするってことは、自分を大切にするってこと。 “好き” なことってある意味で天性なんですよ。 なので、天からあるいは創造主から与え給うた その天命的な使命感を持って楽しく生きようぜって意味も込められていたのでした。 以下、

          Calling 〜その好き。大切にできていますか?〜

          夕暮れと没頭。

          こんばんは。 先日、スパジャポの岩盤浴で抜きながらそわそわと考えていたわけです。 夕暮れの照らされる家を見ながら、まだランドセルを背負っていた頃の自分にとって夕暮れ時って楽しい時間であったわけですよ。なぜなら、何にも縛られずただ友達と夕焼け小焼けの強制帰還命令が下るまで遊んでいたから。 あのころ。この時間が無限にある様な反面、友達との瞬間は毎日の数時間だった憂鬱さを感じて走っていた。 時には誰かの家に行って、TV画面の向こう側の世界に旅だったりね。 いつか、忘れてし

          夕暮れと没頭。

          被害を受けたという妄想が加害へ走る。

          昨日からTwitterを騒がせている、「彼方のアストラ」「スケットダンス」の作者である篠原健太さんの炎上の件。 一連の流れを読んでいて、考えていたのはポリコレ棒で叩くことでもはや加害化していく人類は甘えられなかったお姫様の魔女感を漂わせて年老いていくのだろうかねぇ、と。 あとこれは日本の文化のにデスカッションするってことが根付いてない。 どれだけ幼稚なことかって。そもそも140字じゃできないでしょ。篠原先生が背景、コンテクストを背負った人間に対してどれでも真摯に返信して

          被害を受けたという妄想が加害へ走る。

          Yume.

          どうも、おぐです。 全2公演を終えて、体バッキバキの状態だった月曜日を終えて次へのスタートを切るためストレッチをしている今週。 コンセプトがはっきりしていたため、観客のはどの様に映ったか分からないけれど演者側の感想として、一個人として言えるのは 僕の語りたいことは語り尽くされた。舞い踊る中で。 というのが率直なもの。 きっとまた走り出す時、伝えたい欲求よりも先に走り出すエネルギーがある。 その着火が起きた時、今度はどの様な物語が起きるのか。 心底、音楽って芸術っ

          世界に1つだけの花 にならせない島

          どうもお久しぶりです。。 ここの数年の人類の動向を考えている時に、僕たちはいつから“like”に固執するようになったのだろうかと再考していたんですが、よくよく考えてみると産業が生まれた時点で肯定してもらう感覚って付随していたんだよなーって。 いや、環境適応と生存競争的な意味でいえば遥か昔からあったんだよな。 数え切れないほどの情報が取り巻く世界で、個性という名のユニークスキルを大切にできなくなっている現代と少ない情報内で環境適応に従事せざるを得なかった近代までの環境を考

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          認知とa priori とデザインについて考える。

          いきなりですが質問です。 これ何に見えますか? 大抵の人は 「家」と答えるでしょう。 ではこれは? 下 方向 を示している。と答える方が大半だと思います。 もちろんその通りなのですが、いわゆる文化環境においてその認知の仕方は変わるんです。例えば一番最初にみた家っぽい線のかたまりは我々が屋根と壁だと勝手に思い込んで「この形は家である」、と分かるんです。 蓄積されたデータと識別によって分かると。ディープラーニングと同じですね。 では逆に、外による外的因子からの影響が

          認知とa priori とデザインについて考える。

          共感性を下げた日本人は幸福に違いないと思ったのだが不可能過ぎて萎えた話。

          ども、おぐ でっす。 学校教育から家庭環境まで心と身体の生成環境が人格を作ると言っても過言ではないのはもう周知の通り。数々の書籍や論文で調べられており、そこに対する否定はない。 ただしこの話の類で違和感を覚えるのは、一角区で起きている事象がいかにもマイノリティのように話されている感や今現在進行形の話であるににもかかわらずその意図を読み取れない点。即ち、我々が接している社会そのものがそもそもそんな作りになっているよね、とならない、実感がない。 にも関わらず、なぜか周囲や身

          共感性を下げた日本人は幸福に違いないと思ったのだが不可能過ぎて萎えた話。

          真っ暗な社会を笑わせたかった人

          2. 愛情の欠如から生まれた無意識の渇望。 コメディアン(そう呼ばれることを肯定はしていない。)である彼が、立ち向かったのは何か。ジムキャリーとアンディが。 ストラクチャー、構造、といった枠組を嫌い何にもはめ込まれずただ漂う。確かに我々はこの地に生きている以上、国籍や性別、信仰といったステータスを組み込まれどこの枠組みに属していて。 人は故に、その人が”誰”なのかを教えてくれる。いや知ることができる。それは逆説的にどこかも属さないと保てない不安感を抱いているということ

          真っ暗な社会を笑わせたかった人

          現実世界とジョークと。

          先日の続きを書きます。 アンディが伝えたかったことというよりも、彼がどの立ち位置にいたのかが興味深いと書いた。 何故なら、彼にとってリアリティー:現実とは最高のジョークであったからに尽きる。 相手の気持ちを考えることから意図するコミュニケーションとはまたことなるアプローチに潜んでいる、どこにも寄り添えなかった人間がたどり着いた彼方。 彼は全てを手に入れた、とジムキャリーを通して語った。  痛みを解っているはずの、ナイーブな彼が現実世界で追い迫る不条理な現実に、そこか

          現実世界とジョークと。

          生きている実感を感じるタイミングってやつ。

          この二日間、篭りっきりな生活をしたせいかフィジカルの躍動性が低すぎて違和感があった。姿勢やバランスを保つ為に最近始めた足の指のトレーニングを中心に股関節と腸骨筋の柔軟性と筋トレをしたのだが物足りなさは否めない。 そんな収監時期を挟んで、今日は中止になった練習会場を使って過ごした。この時期の常だが秋の運動は心底気持ちよい。ほどよく汗をかいて秋風に吹かれる快感はアドレナリンの後にやってくる生への是認ってやつ。 息を呑むような瞬間って言ってしまえばそれまでだが、日常にその刹那を

          生きている実感を感じるタイミングってやつ。

          ジムアンドアンディにみる空虚

          Netflixでみたドキュメンタリーが非常に興味深かったので共有。 ジムアンドアンディ 皆さんはアンディ・カウフマンをご存知ですか? 僕はコメディアンの彼を初めて知りました。もともと、ジムキャリーから吸収しようと思って出演作を探していた時に『マンオブザムーン』という作品を知ったことから始まりました。 彼がどの様な人物であったかよく分かったのだけれど それより彼が何を考えていたのか、魂や心の立ち位置が非常に興味深い。 つづく。

          ジムアンドアンディにみる空虚