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共感性を下げた日本人は幸福に違いないと思ったのだが不可能過ぎて萎えた話。

ども、おぐ でっす。

学校教育から家庭環境まで心と身体の生成環境が人格を作ると言っても過言ではないのはもう周知の通り。数々の書籍や論文で調べられており、そこに対する否定はない。

ただしこの話の類で違和感を覚えるのは、一角区で起きている事象がいかにもマイノリティのように話されている感や今現在進行形の話であるににもかかわらずその意図を読み取れない点。即ち、我々が接している社会そのものがそもそもそんな作りになっているよね、とならない、実感がない。

にも関わらず、なぜか周囲や身内の評価ー基準ベースで生きている人類。日本人。集団同調的であるとか、ローカルが故の村社会のドグマ、教義、人付き合いの慣れ果てに望んでもない価値軸押し付けられるその環境で生きてしまえばしょうがないのだが。

昔と違って、デジタルを使ってあるいは移動インフラ屈指して幾らでも価値観とやらを学べるのだけどどうも腰が重い。

他人への共感線が下がれば、生真面目で機敏で奉仕的倫理観が高い日本人は幸福度が上がると思うのだが。

全体を変えるにも、抜本的に変える方がや早いし人to人という古典的手法なので浸透も。。。

頭の硬さと腰の重さで動けなくなったか。それとも価値軸の棒で叩かれ過ぎたか。。。


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