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現代人は[ネタとパロディの中で息をしている]
こんにちは。
葬送のオーケストラ「墓の魚 PEZ DE TUMBA」
の作曲家です♪
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今の時代って、
大昔や、19世紀に
大真面目に作り上げた文化に対して、
茶化したり、パロったり、ネタにしたりする
時代だと思うんですよね。
パロディは、
可笑しな事に冷静に突っ込む
道化のシニカルな技術でもあり、
それ自体が駄目という事ではありませんが、
パロディや冷笑に偏り過ぎて、
真面目なものを作っていても
ドン引きされる悲しい一面がある
時代ではあると思います。
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だから
「バッハの様な作品を私も作りました。
キリスト教も勉強しました」
と言う人よりも、
バッハのカツラをかぶって
ふざけてポップスを弾く人の方が
「クールだ!」と受けてしまう。
あまりにも
そういう冷笑に全力を注いだ結果、
新しい[真剣なもの]が
生み出せなくなっている時代
でもあると思います。
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それは、
悪い言い方をするのなら
[クール]という名の稚拙ですね。
ただ、
情報が無駄に流れ込んで来た為に、
真摯に何かを信じる事が出来ずに
路頭に迷っている時代・・
とも言えるかもしれません。
なので、
[宗教的な曲とか、
真面目なクラシックを
今の時代で作曲する]
みたいな活動は、
ハリウッドなど
一部のエリート分野でだけ許され、
一般大衆の中の音楽家で
それをやっている人は本当に少ないですよね。
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でも、私は思うのですが
本当はもっと
一般の私達が
それをやって楽しんでも
何も悪くない筈なんです。
大衆は、ほとんど
ネタとパロディの中で息をし
「気取るな」と言い合う。
例えば、お笑いでも、
日本のお笑い芸人が
チャップリンの様な活動をする事はない。
それをやれば
「何を気取ってるんだ」
と言われる。
「お前は特別だと思っているのか?」
と。
日本人は足並みを揃えさせるのが
好きなのでしょう。
まぁ、勿論、大衆の求める
軽いギャグやパロディには、
[過去の老害的な妄信
(誤った熱血や忠誠)
を笑い飛ばし、
撥ね退けよう]
という
抵抗があるのだとは思います。
それはとても大事な事です。
だけど、
真摯なものをただ冷笑するだけならば
それは、
一種の卑屈になってしまいます。
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Youtubeなど見てもわかりますが、
日本のアマチュアの世界で
真剣に文学作品やキリスト教作品を作ると
「何マジにやってるの?この人」
と言われる雰囲気は
確実にありますね(笑)
youtubeの
[ピアノを弾いてみた]
などのノリでも
「俺の魂の中に芸術が
路傍の心臓の様に燃えているのだ!!」
なんて語る人はほぼいません。
「キリストの受難を表現しました」
なんて人もいない。
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そういった事を
そろそろ私達大衆が
取り戻してもいい頃かもしれない
と私は思うのです。
賞だの学歴だのの
権威などは不要なのです。
本質を知るのなら、
名もない乞食が
ボードレールの様な哲学を
簡単に語れるのですから。
私達「墓の魚」は
「ガチで宗教曲みたいで怖い」
「どこまでマジなの?」
なんてよく言われますが(笑)
私は、
シェイクスピアや、
ホドロフスキーや、
ダリの様な
作品を作りたいと活動している
だけです。
なぜなら[好き]だから。
それって、
何もおかしい事ではないですよね?
だって、
私達は普段、
西洋の高尚な芸術映画を観て、
普通に楽しんでいるのですから。
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日本人は、
マンガ文化のせいなのかもしれませんが、
西洋の厳格芸術文化に対して、
どこか劣等感を抱えているのではないか?
と思う時があります
(本気で挑まずに茶化すみたいな所がある)。
私達は[身の程なんてわきまえずに]
自分の作りたい好きなもの
シェイクスピアだろうと
キリスト教芸術だろうと
ボードレールだろうと
彼らの跡を継ぐ様な
作品を作っていけばいいのです。
さてさて、
今日も私が日々思っている事の
一つを語ってみました♪
そんな私が作品を制作していく
オーケストラ
墓場(LA TUMBA)と、博物誌の
「墓の魚」を
これからも
よろしくお願いいたします~。
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【1000視聴突破ありがとうございます♪】
「墓の魚」のラテン詩と、
メメントモリ曲の融合した
配信動画
「死んだ珪藻とマキシロポーダのミサ」
こちらで公開中です↓↓↓
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