ピープルフライドストーリー (48) 懐かしき公園

……………………………第48回

      懐かしき公園

           by  三毛乱


 昔、Kという男(…もちろん、現実には、Kという一文字での本名ではない…)が東京で20代の時に短編映画の脚本を書いた。その映画の製作に20代の私も参加した(8ミリフィルム作品か16ミリフィルム作品か、記憶は明確ではない)。記憶では「詩集」という題名だった…。主人公の青年は寺山修一という役名だった(これは、詩人でもあった寺山修司の名前をパロっていたのだ…)。修一には妹と父親と母親がいる。母親は新宿の地下通路に行って立ち、ほぼ定期的に自作の小冊子の詩集を売っていた(無言で詩集を持って立っているという雰囲気であるが…)。その当時、東京の新宿や渋谷や池袋などには、個人で作った詩集を売っている人が現実にもいた(今でも、いるのかもしれないが…)。下町での父親の仕事(商売?)の設定はどうだったか憶えていない。自転車に鶏の1羽だったか2羽だったかを載っけて、近くの公園に行くと鶏の頸を包丁で刎ねるという行為を定期的にするから、養鶏に関係する仕事(商売)だったのかもしれない。ともかく、父親は習慣的に、鶏の頸を切断していたのである。鶏は頸を切断されても走り回る。実際私が子供の頃に、田舎で現実に見たりしている。で、映画の鶏が走り回る公園に、近所の狂女の設定で髪を振り乱しながら、裸足で(白い着物姿だったか?)の女が乱入してベロを出したり、走り回る鶏に狂気の愛情を捧げる表情をしたりして、カメラに頸の切断された鶏とアップで写し出されたりするという長回しの撮影(ローアングルからの地面追い回し多用の撮影)があった。この飛び入り狂女役を劇団•天井桟敷の女優さん(…たぶん、蘭妖子さんだったと思う……)に来てもらって演じてもらった。ところで…、父親が修一の妹を(習慣的に家の中で)犯したりする場面もあった。だが、映像でのその場面はほとんど明確には記憶にない…、というか、実のところ私はその妹も修一も顔が浮かんでこない。スッポリと記憶に残ってないのだ。薄く、何となくしか思い出さない(……そんなに特徴がなかった顔だったのだろうか?)。…とにかく、家族はバラバラになっていて、家庭の問題を誰も解決出来る者が無く、修一は家族の中で一番(?)の怒りと鬱屈が増してゆく。遂に、修一は、家の中で父親が妹をまた犯しているのを見た時、ある決心をして包丁を手に取り、その部屋へと入っていく。
 カットの切り変わった映画のラストでは、母親はいつものように新宿地下道で立って詩集を売っている。そこへ、修一は走っ行く。あるモノを入れたボストンバッグだったか、もしくは単に布で覆って包んでいたあるモノを持ち…(記憶は曖昧だが、修一は着ていたYシャツでモノを包んで抱えて、上半身はランニングシャツだけを着て走っていたかもしれない…)。どんどん走って行く修一。母親と走る修一が交互にスクリーンに映し出される。最後の最後、修一が母親のいる詩集売り場の前にやってくる。修一はバッグの中から、あるいは、包んでいた布を捨て去って、重要な中のものを取り出す。それは、修一が包丁で家で切断したモノである。……血まみれの切断面の…、その切断面を下にすると、片手でも上部は摑み易い…。そして、そのモノを母親の前にぐっと突き出して言う。
「母さん、これが俺の詩集だよ」(この、修一がむんずと摑んで突き出したモノが何であるか、これを読んでいる人は勘の良い人ばかりだと思うので、これ以上詳しく述べなくとも分かるのではないだろうか……)
 修一を見つめる母親。それを見返す修一。交互の顔のアップ。最後の修一のニヤリと笑っているようなアップ。暗転とENDマーク。
 ……というのが私の記憶している「詩集」という映画である。
(…今、記述していて、詩集はししゅうと読むが、ししゅうは死臭という字もある。…と、まぁ、つまらぬ事に気が付いてしまった……)
 Kはその後、他の映画脚本か何かを書いたかどうか分からない。Kは結局、東京に長くいる事なく、彼の故郷の四国へ帰ってしまった。数年後、私が会いに行って、それ以後会ってもいない。四国で輸入雑貨店を夫婦でやっていると、その後の風の噂では聞いている。あの頃から実に何十年も過ぎてしまった。私には思い出のある、Kの脚本による映画を記述している事に、今のKが知ったらどう思うだろうか? 勝手な事をしてと思って怒るだろうか? それとも、苦い笑みを浮かべるだけで許してくれるであろうか? 希望としては後者であってほしいのだが…。
 で、映画の中の母親は映像としては詩人っぽくない感じの45~50歳程の平凡な奥さん風な印象の女性で、父親も顔長のよくよく見ると人の良さそうな…、要するに素人が演じている感じのままの母親と父親であり、本格的に大島渚ばりの(?)、もっとトンガッタ映像•演出•演技などで作り上げられていたらと思う事しきりであるが、今となっては演出者を含め、若い我々スタッフの力不足を感じるばかりなのである。
 …それでも、公園にやって来た父親が鶏の頸を切り、鶏は走り回り、狂女乱入の(ローアングルも多用の長回しの)シーンなどはなかなか気に入っていた。
 で、5~6年程前に、田舎に引っ込んでいた私が久し振りにて、東京の下町で、お酒も久し振りに昼間から呑む機会があった。その後、だいぶ呑んだ私はいい気持ちになって、創作鼻歌を、というか…くちギターによるメロディーを、小さな音声録音機に吹き込みながらも、独りふらふら歩いていく数時間があった(酒を呑んでなくても、歩きながら口で奏でたメロディーを録音する事はそれまでも何回もあった事なのである)。
 ふと足を止めると、あの懐かしき公園の近くにいる事に気がついた。まるで運命に導かれているかのようだった。私は音の吹き込みを止めて、ふらふらと公園の中に入って行った。本当にこの公園だろうか、いやいや、そうだ、そうだ、間違いないぞ、ここであの鶏の撮影をしたのだ。私はウキウキと嬉しくなった。小躍りしたい気分にもなった。撮影当時は、原っぱに近いやや大きめの公園という印象だったが、何十年ぶりかに来てみると、やや小さめの公園になっていた印象である。シーソーなんかも備わっている。撮影当時はなかったように記憶していたのだが…。そして、ふらふらと酔い心地のまま歩いていると、ナントあの鶏までがいるではないか!! 酔っているから、何かを間違えて鶏と見えているだろうか? 酔った私は神経がどこか可笑しくなって、蜃気楼か幻でも見ているのだろうか? いや違う。撮影当時の鶏と全く同じ鶏な訳は無かったが、確かに太った鶏1羽の公園にいたのだ。私は酔ってふらつきながらもソロリソロリと、慎重に鶏の背後から近づいていった。鶏は少しも気付かないのか、ちっとも動かなかった。太い神経してやがると思った。私は少し大きく足踏みして音を立てた。それでも動かない。本当に図太い神経の鶏だ。この私を馬鹿にしているのか? なんともおちょくっていやがる! ふざけていやがる! 遂に私は思いっ切り片脚を後方に振り上げた。私は中学時代にはサッカー部で汗を流していた。あの頃の勇姿を見せつけてやるぞッ! 私はキャプテン翼にでもなったつもりで、片脚を華麗に振り下ろして、サッカーボールならぬ鶏のボディに大きく蹴り込んだ!
 勘の良い読者なら、もうお分かりだろうが、私はこの直後に、片脚からの激しい痛みが脳天まで貫く事になったのだ。その後、しばらくその痛みが私を苦しめ続けたのは言うまでもない。そして、今でもあの時の事を思い出すと、呪詛ともつかぬ次のような言葉を吐きたくなるのである。
 一体誰だッ! 思い出深き懐かしい公園に、走り回る事のない、堅固で不動な鶏の造形物だかナンダかを設置したのは!!

                終 

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