見出し画像

連載小説「お弁当屋の笑子さん」 第三話

前の話  第一話  次の話



第三話 和恵さん


 お弁当用のおかずの買い出しにスーパーで野菜を物色していると、
「あ! しょーこおねえちゃんだ!」
 聞き慣れた声がして辺りを見回した。

 すぐ後ろの玉ねぎ、人参などの根菜コーナーのさらに奥、果物コーナー近くにねむちゃんと和恵かずえさんが並んでいて、わたしが気がつくとぶんぶんとこちらに手を振ってくれた。

「あら、珍しい組み合わせですね」
「相変わらず、お仕事かい?」
「えぇ、買い出しも業務のひとつです」

 わたしの営む「お弁当 こうそ屋」の大家(物件のオーナー)がこのおばあちゃん——和恵さんなのだけど、彼女とねむちゃんは家族ではない。

「かいものー たのしーよぉー!」
「そうかい、買いものはたのしいかい」
「うん、みて! おやさい、つやつやしてるよ!」

 ねむちゃんが目をキラキラさせて野菜をビッと指さした。
 それを和恵さんが目を細めて眺めている。

「ええと、ほんとうにお買いものに来られたんですか?」
 困惑して問うと、和恵さんが種明かしをしてくれた。

「ねむちゃんのお母さんがね、具合が悪いって言うんで、病院に行こうとしていたんだよ。それで、私が子連れだと大変だろうって、終わるまでみておくよって言ったのさ」
「まぁ。それは助かりますね」
 和恵さんとねむちゃんのお母さんはけっこう面識があるし、頼みやすかったのかもしれない。わたしがお母さんと雑談をしている時、和恵さんがひょっこり顔を出して三人で長話をしてしまうことも多々あった。

「私は昼も夜も時間はあるからね。食事は怖いから面倒みれないけど、散歩くらいならいくらでも連れてってやれるさ」
 カッカッカ! と和恵さんが豪快に笑った。大きな口だったので奥の銀歯まで見えてしまった。

「ねむちゃん、お母さんが具合悪いの、心配ね」
 わたしは色とりどりの野菜たちを眺めているねむちゃんに、言った。
「うん、まぁね」
「でもお母さんが病院に行っている間、和恵さんと一緒に待っているの、えらいね」
 そう言うと、ねむちゃんはにこっと笑って胸を反らせた。

 流れで、三人で買いものをすることになった。

 子連れの買いものが大変なのは、たとえばねむちゃんがカートを押したいと言ったこと(それで、カートを押してもらったら棚にぶつかったり、人に当たりそうになって終始見ていないとならない)とか、分からない食材があるとすぐに「これは、なに?」と尋ね、答えても聞いていないことがままあった(あと、あまりにも次々に「これは、なに?」と言うので、最後のほうは閉口してしまった)り、することだと思う。

 多少時間はロスしてしまったけれど、おかずに使う野菜は全部買えたし、わたしの休憩用の珈琲のドリップパックも三箱まとめ買いできたので満足だった。何より和恵さんとねむちゃんは手早く買い物をする必要はないのだ。ゆっくりと、気の向くままに、お母さんの病院が無事に終わるのを待つだけなのだから。

 和恵さんがわたしの買ったものを見て、顔をしかめた。

「どうしました?」
「……えぇ? うん、笑子しょうこちゃん。自分のためのものって、これだけかい?」

 これ、と指さしたのはドリップパック。わたしはうなずいた。

「そうですよ?」
「他に、お菓子とか、おやつとか」
「お菓子もおやつもおなじですけど」
「甘味とか」
「おなじですって」
 わたしはおかしくて吹き出した。和恵さんは、
「いいの! なんかほら、ご褒美的なものって、買わないのかい?」
 と聞き、ちいさな声で「私なんて、ついつい煎餅とか買っちゃうのに……」と呟いた。

「ケーキ屋でも寄るかい? 皆でケーキ……」
 和恵さんは提案したものの「あ」と声をあげた。ねむちゃんが生クリームもスポンジもたべられないことを思い出したようだった。
 ねむちゃんのおやつといえば、米粉を使った洋菓子、和菓子、シンプルに果物とか蒸すか茹でた野菜に絞られてくる。いまから果物を選んでもいいけれど……。

「ねむちゃん、お腹空いた?」
 わたしが尋ねると、ねむちゃんが大きくうなずいた。

「うん! めっちゃすいたー」
「そう。そしたら……これからお店に戻って、酵素玄米こうそげんまいのおにぎりを握ったら、たべる?」
「えっ」
 ねむちゃんの両目がまぁるく見開いた。
「お塩をちょっと両手につけて……」
「うん!」
「あったかい赤いごはんを手に乗っけて……」
「うんうん!」
「ぎゅっと握った、塩むすび!」
「しおむすびぃー! たべるー!」

 ふふふと微笑んだ。ねむちゃんは塩むすびが大好きだ。
 ごはんが酵素玄米だから、栄養もぎゅっと詰まった最高のおむすびになるだろう。

 すぐにでも走り出しそうなねむちゃんを和恵さんが慌てて制していた。時間もあって子供の面倒もみることができるけれど、走るとか激しい遊びはさすがに無理なのだという和恵さん。

(ねむちゃんのお母さん、早く具合が良くなればいいのですが……)

 わたしの夫は過労からくる突然死だった。あとは『持病の不整脈』も原因のひとつ。若いからと言って油断していいものではなかった。……と、いまのわたしなら身にしみて分かることだけど、当時はまさか夫がそんなことになるなんて、と信じられない思いだった。自営業で仕事一辺倒だったわたしたちは、費用と時間を割いてまでは健康診断を受けなかった。それもまた悪かったのかもしれない。

 今年、わたしは三十二歳になる。
 がむしゃらにひとり弁当屋を続けて、もう数年経ってしまった。

 夫が亡くなってから、わたしはひどく慎重になっているのだと思う。
 変わることを恐れている。
 日常を、安心ないつも、で満たすことに必死になっている。

 毎日やることをおなじにして、ルーティンを確立させた。
 余計な刺激も手放した。テレビもラジオもパソコンも捨てて情報を遮断し、SNSなどのネットサービスはお店の情報配信のみ。コメントは受け付けないように非表示設定にした。
 客商売に携わっていればたくさんのお客様からいろんな言葉を投げかけられるけれど、わたしには目指すものがあり、不快なものに惑わされる時間もゆとりも持てない。目の前のお客様が大切で、ねむちゃんや他のアレルギーに悩まれる人に寄り添うだけで手一杯。

 わたしは目をとじ、深く息を吸い込んだ。左手で握られたエコバッグの重みがズンと伝わってきた。頬に汗が垂れるのを感じた。


(まだまだ、歩みを止めることなどできない——……)


 茜色の空の下、わたし、ねむちゃん、和恵さんがゆったりと歩いて行く。

 夏は夕方でも明るいので、好きだった。
 和恵さんと繋いでいるねむちゃんの細い腕が、こんがりと日に焼けて健康そうだと思った。外はこんなに暑いのに、ねむちゃんはちっとも暑そうに見えない。

「おっにっぎっりっ! あかいあかーい、こうそっげんまいっ!」

 オリジナル曲まで即興で作って歌うねむちゃんが面白く、わたしも和恵さんも吹き出した。酵素玄米という単語を知っている子供は、さぞ珍しいだろうなと思いながら。

 トトン、トトン、と和恵さんが片足をすこし引きずるようにして歩く。片手はねむちゃん、反対の手には歩行杖を手にしている。

(和恵さんが杖を使い始めたのはいつごろだったかしら……)
 過去を振り返りたくはなかった。ひとまず、いまの状況が「祖母」「母」「娘」のように見えなくもない、と気づき、わたしはひっそりと微笑んだ。望んで選んだ生き方のはずなのに、年齢が上がるにつれて友人からの結婚や出産報告のハガキが来ることを億劫と思う自分がいたことを思い出す。だからリセットしたのだ。すべてを。


 酵素玄米のあるお店が待っている。
 愛おしい、初夏のひととき。



(つづく)


次のお話はこちら

「お弁当屋の笑子さん」マガジンはこちら↓(全14話)

#小説 #連載小説 #眠れない夜に #私の作品紹介 #酵素玄米 #寝かせ玄米 #お弁当 #ライフワーク #食育 #食生活 #ごはん #時間 #記憶 #健康 #創作

いいなと思ったら応援しよう!

pekomogu
数ある記事の中からこちらをお読みいただき感謝いたします。サポートいただきましたら他のクリエイター様を応援するために使わせていただきます。そこからさらに嬉しい気持ちが広がってくれたら幸せだと思っております。