僕らは、珈琲みたいに。
僕の住む街の履物屋のおばあちゃん。
彼女とのやりとりを去年の夏に書いた。
「あら、筋が良いわね。」というもの。
店の前を通るとき、ちらりと中を覗く。
店内はいつも薄暗く、人影はない。
高齢だし、こういうご時世だし、もうお店開けないのかなぁ、と寂しく思いながらも、前を通るたびに、店をちらりと覗くというのが、僕の習慣になっていた。
というのも、その履物屋の前には、僕がよく行く珈琲のお店があるから。
この珈琲店は、豆も焙煎も店内環境もこだわってる。僕の、心底好きな空間。
今日、ひさしぶりに珈琲を飲みに来た。
いつもと、景色が違う。
すごい違和感。
その違和感の正体は空き地だった。
履物屋は、土と砂と砂利の更地になっていた。
あのぅ、すみません、前の、履物屋さんどうされたんですか?
僕は珈琲店の店主に訊く。
あー、お向かいのお店ね、おばあちゃんがね、亡くなったみたいで、お店壊しちゃったんですよ。最近多いですよ、このあたり。高齢の方はこのあたりに住んでても、ご家族は遠方とかっていうケース。だから亡くなってすぐに、壊しちゃったんですよ。寂しいですよねぇ。
あぁ、そうなんですか。そっか、そうなんですね。ありがとうございます。そうなんだ、そっか、じゃあ、えっと、じゃあ、えっと、「ルワンダ」でお願いします。
かしこまりました、と言って店主はさがっていった。
僕は、水を飲み、窓から、向かいの更地を見つめる。
あなたたちはわからないでしょうけど、いくらでも好きな場所や好きな人や好きな仕事が選べて、わたしはあなたたちがうらやましいわ。今更うらやんだって、お迎えが来ちゃうからどうしようもないんだけどね。時代よ。時代。
ルワンダの珈琲。チョコレートの中の干したベリーのような酸味。熱い砂のような香り。収穫した人たちの冗談を言い合う会話が聞こえてきそうな、エネルギッシュでフルーティーな珈琲。飲んでいて楽しい。
あのぅ、すみません、おかわりおねがいします。なにか別の、違うタイプのが飲みたいんですけど。
あ、はい、メニューお持ちしますね。
あ、いや、いいです、おすすめのなにかあればそれをお願いします。
えーっと、おすすめですか?
この前あの、インドのやつを飲んだんですけど、干し草とか強い苦味とか、すごく良かったんですけど、それよりも少しおとなしめというか、優しいかんじの、なにかありますか?
あぁっ、なるほどなるほどっ、なるほどですね、インドはたしかにね、強いですよね、それじゃあ、えっと、それじゃあ、えーっと、ね、そうだ、こちらの、キセツブレンドはいかがですか?
キセツブレンドってことは、季節で変わるんですか?
そうですそうです。配合をね、変えてます。
なるほどっ、じゃあ、それでお願いします。
かしこまりました。
キセツブレンド。
古い木の板のような乾いた香り。
クルミのような風味。
すごく遠くに湿った土のような香りがある。
ブレンドだから、いろんな豆の風味、景色が流れていく。最後には、それらすべてが流れていき、珈琲の余韻だけが残る。
子供の頃の丘の上で浴びた風みたいに、ふわっとやってきて、ふわっと消える。
よしっ!!!できたぁ!!!!!!久しぶりに仕事したわ!まだまだわたしもすげ替えできるじゃない。働くっていいわね。滅多なことじゃ切れないと思うけど、もし切れたらまた来てちょうだい。
お兄さん、ありがとうね。
もしサポートして頂けた暁には、 幸せな酒を買ってあなたの幸せを願って幸せに酒を飲みます。