【福島浪江訪問レポート】 浪江町請戸小学校を訪ねて
プロジェクトデザイン研究室・災害復興チームは被災地を自分の目でみて体験するプロジェクトの一環として2022年7月8日・9日に東日本大震災の被災地である福島県浪江町を訪ねた。
今回は震災遺構に登録されている浪江町請戸小学校へ見学したレポートをまとめる。
請戸小学校とは
浪江町立請戸小学校は2011年3月11日の東日本大震災による津波によって、未だかつて経験したことのない大地震・第津波とその後の原発事故に見舞われ甚大な被害を受けた。当時通っていた児童93名は教職員の迅速な判断と児童の協力により、奇跡的に全員が無事避難することが出来た。地域のシンボルである請戸小学校を震災遺構として整備・保存し、防災について考えるきっかけ、また後世へ伝承していくための施設として、2021年10月24日から一般公開している。
被災した学校のありのままやその備えとしてどのようなことが必要かなど、考えていただくきっかけの場である。また、実際に被災された方の体験談を映像で見ることで、より自分ごととして捉える仕組みを作るとともに、後世へ伝えていく役割を果たす。
教室の様子
床、天井ともに剥がれて酷く傷んでいる。窓ガラスは津波の影響でなくなってしまったと思われる。壁面はコンクリートがむき出しになっている。
複合盤
津波の影響で重そうな複合盤が傾くほど。津波の恐ろしさを実感した。
体育館の柱に挟まった丸太
恐らく津波によって流された丸太が挟まった状態のまま残っていた。
曲がった鉄骨
津波の影響か地震の影響か分からないが、酷く損傷している。
感想
請戸小学校について入口からそこまで悲惨な様子はなかった。入ってみると剥がれた天井や柱を見て被災地にいる実感が湧いた。私は東日本大震災の時、東京の小学校にいて地震と津波の恐ろしさを体感はしていなかったから、地震と津波だけでここまでの被害を受けるとは思っていなかった。請戸小には被害の少なかった二階の教室に被災者の書いた文章が展示されていた。そこには東日本大震災の時の後悔や同じ町に住んでいた人たちに伝えたいメッセージなどが書かれていた。その文章を読んで被災した人達だけでなく、日本に住む私たち全員が、被災者がこの災害から学んだことを知る必要があると強く思った。日本ではこれから先、南海トラフや首都直下地震など数十年の間に起こると予想されている災害がある。災害が起きてからではなく、事前に出来ることを準備していく必要があるだろう。
文章:高田(B4)