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コロナ危機から学ぶ、高齢者の日常

先日、高熱と喉の痛みで数日間仕事を休んだ。
数年前にコロナになって以来、久しぶりの隔離を経験した。

その数日で感じたこと。
病院からデイサービスへ転職し、高齢者の生活をより意識するようになったからだろうか。
わたしたちの多くがコロナ危機で経験した隔離と、独居高齢者との共通点を感じずにはいられなかった。
それは、自由の制限である。

3つの自由の制限

数年前に経験したコロナによる隔離と、今回の隔離。
そこに共通するのは、3つの自由の制限である。

3つの自由とは、

・移動の自由
・食べ物の自由
・交流の自由

である。

どれも、隔離を経験したことがある方ならなんとなく理解できると思う。
特に、ホテル療養を経験した方なら分かりやすい。
移動の自由の制限はもちろん、食事はホテルで支給されたものだし、当然他者との交流もない。

そして、こうした自由の制限は、独居高齢者の日々の生活に当てはまるのではないか。
この3つの自由は互いに独立しているわけではなく、重なるところも多い。
移動の自由が制限されることで、交流の自由が制限されることもあるし、交流の自由が制限されることで、食べ物の自由が制限されることもあり得る。

この気づきは、別になんてことはない。
理学療法士であれば、フレイルの3要素(身体的・社会的・精神的フレイル)と似ているな、と感じるだろうし、多くの方がなんとなく気づいていることだろう。

https://carenote.jp/frail/

つまり、独居高齢者の自由の制限は、多くの医療従事者にとっては「知識」として既に知っていることかもしれない。
ただ、ここで大切なことは、こうした自由の制限を医療従事者自身が実際に「体感」したということだ。

骨折した痛みは、当然その人にしか分からないし、骨折したことがない人にとっては「実感」のない痛みだ。
それと同じで、独居高齢者の自由の制限、その苦しみは、当然その人にしか分からない。でも、コロナ危機を経験したことで、多くの方が疑似的にでも「体感」することができた。

体感できたことで、わたしたちができる支援の質が、変わってくると思う。
自分事に思えて初めて、感じるものがある。

まだ具体案が浮かんでいるわけではないが、これから少しずつ、実践に落とし込んでいきたいと思う。

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