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コーヒー日記⑩

『コーヒー日記』は、わたしが自家焙煎したコーヒーを飲みながら、備忘録としてゆる~く書いた日記です。

『変わらない』ことは成長の証?

わたしはひねくれた性格だから、むやみやたらに成長を「善」とする風潮は苦手だ。
でも、そのときに使う「成長」という言葉の意味は、皆さんもわたしも、ある一側面しかとらえていないのではないかと思う。
その一側面は、成長=(目にみえる)変化、というとらえかただ。

心理学者の河合隼雄には、クライアントからお礼を言われた有名なエピソードがある。

先生のおかげで、私もずいぶんと変わりました。変わるも変わるも三六〇度変わりました。

なんだかジョークのようにもきこえるが、このエピソードには重要な示唆があるように思う。
それは、成長=変化であるならば、目に見えない変化(つまりは変わらないということ)も、成長といえるということである。

だって、「三六〇度変わった」ということは、少なくとも客観的にみて、「変わっていない」ということではないか。
でも、それでも、本人の中では、きっと何かが「変わって」いるかもしれない。本人にとって無意識であったにしても。

そう思ってからわたしは、「成長」という言葉が、前よりちょっぴり好きになった。

『ケア』と『カフェ』の交差点

最近はデイケアに転職したこともあり、「ケア」に関する本を読んでいる。

本を読んでいると、「ケア」の本質と、一見全く異なる概念だと思える「カフェ」の本質が似通っていることに気づいた。

それは、共に「居場所」であるということだ。

ケアって、ざっくりというと誰かを支援することだから、「居場所」といわれてもピンとこないかもしれない。
でも、ケアを受ける方の多くは、「居場所」を失っている。

そもそも、居場所とは何か。哲学者の村上靖彦氏は以下のように定義している。

居場所とは、自由に「来る」ことができ、「居る」ことができ、「去る」こともできる場所である。

村上靖彦著 『交わらないリズム: 出会いとすれ違いの現象学』

つまり、居場所を失うとは、「来る・居る・去る」が自由にできない状態のことである。
たとえば自宅であっても、一人で歩くことができず、自由に「居る」ことができず、「去る」ことができないのであれば、そこは居場所ということができない。
ケアとは、そういった方に対してなるべく自宅を「居場所」にする、もしくは新たな「居場所」を提供するための行為といってもいい。

ではカフェはどうか。
わたしはカフェ巡りが趣味であるが、「ここ落ち着くな」と思えるところは、決して内装がおしゃれなだけではなく(ぶっちゃけそこも重要だけど)、上記の居場所の定義と合致したところだったりする。
もちろん、完全に合致する場はなかなかない。
カフェに入ればドリンクを注文してお金を払う。無銭飲食して「去る」ことは許されない。

ただ、医療従事者として、理学療法士としてセラピーとケアを実践してきた経験から思うに、「デイケア」などのように医療制度上の居場所ではなくて、もっとラフな居場所があってもいいのではないか、と思う。
つまり、「来る・居る・去る」が極力自由なカフェを、ケアに携わる人間が提供することって、結構重要なのではないかと思うのだ。

『ケア』と『カフェ』の交差点としての居場所。
そんなところがあったらいい。まだぼんやりとしているけれど、少しずつアクションしていこう。

良いコミュニティの秘訣

わたしは #リトルトゥース で、2024年2月18日の『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』にライブビューイングで参戦することになった。めっちゃ楽しみ。

#オードリーのオールナイトニッポン のリスナーのことを、「リトルトゥース」という。このリトルトゥースって、なんか不思議だ。
まだ出会ったことはないけれど、もし町でライブ関連のグッズを身に着けている人がいたら、「リトルトゥースですか?」と声を掛けてしまうだろう。

でも一方で、わたしは小学生からのMr.Childrenのファンであるが、ライブTシャツを着ている人を見かけても声は掛けないだろう。

この違いはなんだろう。
もちろんファンの規模の違いはあると思うが、要因はそれだけではない。

わたしは、その大きな要因として、「内輪ネタ」があると思っている。
そしてそれが、良いコミュニティの秘訣でもあるのだ。

『居るのはつらいよ』の著者の東畑開人は、デイケアでの勤務経験を綴った同書でこのように述べている。

重要なのは「内輪ネタ」なのだ。それはコミュニティの内部で生じて、コミュニティの内側で作用する。(中略)良きコミュニティには内輪ネタが存在する。

オードリーのオールナイトニッポンは内輪ネタの宝庫である。それはリトルトゥースならみんな知っている。だって、オードリーさん本人がそう言っているから。

内輪ネタが豊富なコミュニティは強力だ。それは超絶人見知りで自分から声を掛けることはほとんどしないわたしが、「声を掛けたい」と思ってしまうほどだ。

2月18日、15年間の熟成された「内輪ネタ」を聴きながら、幸せな時間をリトルトゥースと共有したいと思う。

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