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人生史とコナトゥス
この記事でも、「構築論的理学療法」の核となる、被ケア者に人生史を語っていただくことの意義について書いてみたい。
要点を先に示すと、以下の通りである。
■人生史を語っていただくことは、被ケア者の本質を理解することにつながる
■人生史を語っていただくことは、より「個別性」のある治療へとつながる
では、そもそも本質とは何か。そこから考えてみたい。
『本質』をどうとらえるか
「本質」は日常でもよく使われる言葉だが、もともとは哲学に由来する。
古代ギリシアの哲学は、「本質」を基本的に「形」ととらえてきた。
「形」とは、すなわち「見かけ」や「外見」のことだ。
こうしたものの見方は、例えば、男性と女性という分け方にもみられる。
この見方は、「男性は男性らしく、女性は女性らしく」という見方につながっていく。
人間以外を例に挙げれば、家畜化された馬と野生の馬も、当然同じ馬である。
臨床を例に挙げると、「この患者さんは50代男性で、既往歴に糖尿病があって、今回は○○という診断で入院してきた。身体機能検査では○○という結果、解釈が得られたから、歩行練習を中心に理学療法を行っていこう」といった臨床思考が、本質を形ととらえた場合だと思う。
こうした本質のとらえかたは、特に臨床の視点で考えると、非常に目の粗いとらえかただと言わざるを得ない。
もう一つの「本質」のとらえかた
17世紀のオランダの哲学者、スピノザは、「本質」は「力」であると考えた。
この「力」こそ、題名にある「コナトゥス」である。
「コナトゥス」はラテン語で、医学や生理学で言う恒常性(ホメオスタシス)の原理に近いと考えられている。
ただ、単純に生理学的にみるだけではなくて、その人全体をみて、その人をその人たらしめている力が、コナトゥスである。
本質を力(コナトゥス)としたとらえかたの例として、哲学者の國分功一郎氏は以下のように述べている。
たとえば、この人は体はあまり強くはないけれども、繊細なものの見方をするし、人の話を聞くのが上手で、しかもそれを言葉にすることに優れている。だからこの人にはこんな仕事が合っているだろう‥‥。
この例をみれば、人生史を語っていただくことの意義が理解できるのではなかろうか。
この例を、臨床っぽくこのように修正してみたらどうだろうか。
この人は身体機能検査の結果、筋力はあまり強くはないけれども、繊細なものの見方をするし、人の話を聞くのが上手で、しかもそれを言葉にすることに優れている。だからこの人にはこんな治療が合っているだろう‥‥。
スピノザの哲学は「個別性」が重要視されているといわれているが、まさに、こうした見方は、より「個別性」のある治療への導いてくれると思っている。
最後に、要点をまとめてこの記事を閉じることとする。
■従来の問診や身体機能検査(理学療法評価)に加えて、被ケア者に人生史を語っていただくことは、より「個別性」のある治療へとつながる
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