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#キリスト教
日本バプテスト連盟が面白い【キリスト教と同性愛、トランスジェンダー、LGBT】
先日、とある用事で、日本バプテスト連盟さまの教会にお邪魔しました。キリスト教の教会ですね。
(結論から言いますと、この記事は、日本バプテスト連盟(以下、敬称略)について、ポジティブな内容を書く記事です。事実誤認がありましたら、ご指摘ください。なお、本当は日本国内の団体についての現在進行形の記事は書きたくないのですが、「南部バプテスト連盟」のナッシュビル宣言で傷ついた人々がいたり、あるいはキリスト教
仏教の一切皆苦とアウグスティヌスやルターの原罪説が言ってることはだいたい同じ(かな)
1.人間の有限性
タイトルの通りの小悟を得ました。
両者における、人間理解の共通性ですね。
人間はどこまでいっても不完全なものであり、限界がある(=有限な存在である)ということです。
人間の欲望は、欲求不満や争いや差別を生み出し続けます。仏教はその根底にあるのが絶えることのない渇愛だと説きます。その渇愛を「原罪」だと理解すれば、驚くほど、アウグスティヌスやルターの言うことが分かります。
「女性スペースを守る会」と三浦俊彦について
この手の議論(というかヘイトスピーチ)は、見るだけで苦しくなるので、すべて見ないようにしています。
【というか、トランスの当事者で体で困っている人は、この記事自体、みなくていいです。】
ただ、全国の銭湯に配ったなどという冊子と目にしました。
ちょうど、こうした問題をイスラーム法学的に見るとどうなのかな、という問題意識がありましたので、勇気を出して試しに当該冊子を見てみました。
(リンクは貼りませ
「性同一性障害」という言葉に反対する人がもつ暗黙の前提。【私が指摘していきたいこと】
「性同一性障害」ではなく「性別違和」「性別不合」にしましょう、という議論があります。
アメリカ精神医学会などがそういうふうにシフトしているから、ということです。が、本当にそれでいいのでしょうか?
「性同一性障害」を悪とする人、これは医療従事者や当事者どちらもですが、前提としている考え方があります。
それは、「肉体に優位性があると考える思考方法」です。
すなわち、「肉体の性(→染色体の性ともいえ