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仏教の一切皆苦とアウグスティヌスやルターの原罪説が言ってることはだいたい同じ(かな)

1.人間の有限性

タイトルの通りの小悟を得ました。

両者における、人間理解の共通性ですね。

人間はどこまでいっても不完全なものであり、限界がある(=有限な存在である)ということです。

人間の欲望は、欲求不満や争いや差別を生み出し続けます。仏教はその根底にあるのが絶えることのない渇愛だと説きます。その渇愛を「原罪」だと理解すれば、驚くほど、アウグスティヌスやルターの言うことが分かります。

違いがあるのだとしたら、渇愛や原罪の克服方法です。仏教は瞑想(アンナパンナ念など)によって渇愛を克服できるのだとします。一方、プロテスタント(や真宗)では、人間の有限性をふまえて「神の恵み」にのみ期待するんですね。

2.他人を裁く宗教言説は、原罪理解に深みがないのでは

宗教団体には、他人を裁きたがる人がたくさんいます。
他人というと、たとえば、LGBTQあたりですね。

いろいろな理屈をつけて裁きたがるのですが、少々、原罪理解に深みがないんじゃないかなと思われることが多々あります。


3.人間の些事に一喜一憂しない

Yahooニュースで「性別変更の手術要件について識者に聞く」がトップニュースになっていた。どうせコメント欄が酷いだろうから、見ない。 例の国民民主党の見解がどうなったのかも、敢えて追っていない。 そんなところで気分を害しても仕方がない。騒いでいるのは部外者(実情を知らない人々)だけ。

『7つの習慣』に「関心の輪」「影響の輪」ってあるけど、まさに、「関心の輪」で一喜一憂していても仕方がない。自分にできることをやっていくほかない。 ※『7つの習慣』はモルモン教系ですがそれは置いておいて。

※トップ画像は2014年頃、イランあたり。

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