日本バプテスト連盟が面白い【キリスト教と同性愛、トランスジェンダー、LGBT】
先日、とある用事で、日本バプテスト連盟さまの教会にお邪魔しました。キリスト教の教会ですね。
(結論から言いますと、この記事は、日本バプテスト連盟(以下、敬称略)について、ポジティブな内容を書く記事です。事実誤認がありましたら、ご指摘ください。なお、本当は日本国内の団体についての現在進行形の記事は書きたくないのですが、「南部バプテスト連盟」のナッシュビル宣言で傷ついた人々がいたり、あるいはキリスト教の印象が悪くなってしまった人々がいる以上、書いておくことに意味があると考えました。)
1.日本バプテスト連盟と、南部バプテスト連盟
日本バプテスト連盟は、100年以上の歴史を誇りますが、アメリカの南部バプテスト連盟にルーツがあるようです。
南部バプテスト連盟は、アンチLGBT的な条項を含む「ナッシュビル宣言」の母体となった団体です。「ナッシュビル宣言」は、2022年、日本に輸入され、「NBUS」という団体が、アンチLGBTの署名運動をして、話題になりましたね。
ちょうどあのころ、とある神道政治連盟の勉強会において、キリスト教の牧師(楊尚眞氏)がアンチLGBTのビラを配布していました。広く報道されました。
あれは、安倍晋三銃殺事件の直前でした。事件により、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)が日本のジェンダー政策に影響を与えていることが、明るみにされました。といっても、どうもあまり報道されなかったのですが⋯。その直前の時期ということです。
ちなみに楊尚眞さんは「在日大韓基督教会」のメンバーのようです。「在日大韓基督教会」は、神道政治連盟での件について、2023年8月時点で何のコメントも出していないようです。「在日大韓基督教会」はNCCに加入するメインラインの教会の一つなのですが、ジェンダー、セクシュアリティの問題については未だ保守的のようですね。とはいえ、「在日大韓基督教会」の内部で、このノーコメント状態を問題視する意見もある(とくに信徒側から)というのは、見聞きしています。(ここで「在日大韓基督教会」さんを責めているわけではありませんので、誤解なきようお願いします⋯。)なお、日本バプテスト連盟もNCCのメンバーです。
話が脱線してしまったのですが、2023年現在の南部バプテスト連盟は、つまるところ、概ねいわゆる「宗教右派」であり、アメリカ南部のアンチLGBTの牙城のような組織です。(「2023年現在の」というのがポイントです。20世紀末に教条化してはっきりと保守化したようです。このあたりはまた。。)
加えて、2023年上半期に、トランスジェンダーやいわゆる女装者に対して、男性の立場から居丈高に断罪するようなnote記事を量産していた男性牧師がいるのですが、その牧師の所属教会が、日本バプテスト連盟加盟の教会でした。
(気分を害す方もいらっしゃると思いますので、あえてリンクははりません。「バプテスト教会 東京基督教大学 埼玉県」とGoogle検索をすれば、出てくるかと思います。国際基督教大学ではありません。東京基督教大学は、いわゆる「キリスト教福音派」の学校で、聖書が無謬であり自分たちは文字通り聖書を解釈できるのだと(概して)主張するかたがたです。なお、日本バプテスト連盟の牧師さんは、東京基督教大学ではなく、東京バプテスト神学校や西南学院大学を修了した方が大半のようです。)
そういうわけですので、「日本バプテスト連盟」もまた、反LGBT的な団体なのでは?、と、思いますよね。
したがって、私も、「日本バプテスト連盟」の情報は、完全にシャットアウトしていました。「食わず嫌い」と言えますが、精神衛生上、仕方ありません。
2.日本バプテスト連盟「性差別問題特別委員会」声明
では、なぜ今回、日本バプテスト連盟の教会にお邪魔したかというと、LGBTに関する講演があったからでした。講師は、日本基督教団の有名なLGBT当事者の牧師さんです。おそるおそる参加させていただきました。
結論から申し上げますと、とても温かく、心理的安全性に満ちた会でした。(もとより、わざわざこの講演を聞きにくる方々なので、差別をしたいと思っている方々は少ないのでしょう。)
もちろん、誰が当事者なのかなど、カミングアウトさせるような局面もありませんでした。「カミングアウトは命がけなのだ。アウティングは居場所を奪い、死をも導く」ということが、心を尽くしてご説明されていました。
牧師の先生が「理解できなくても、慣れるのが大事。慣れてください」とおっしゃっており、参加者の皆様が頷かれていたのが、とても印象的でした。
さて、教会員の方にお話を伺ったところ、日本バプテスト連盟は、前述の「南部バプテスト連盟」とは、実質的に袂を分かったということです。「南部バプテスト連盟」がはっきりと保守化したのが契機ということです。
いまは、同じく「南部バプテスト連盟」の保守性に嫌気をさしてつくられたCooperative Baptist Fellowship (CBF)という団体の方に近いということです。(このあたりは、すみません、まだよく存じ上げません。できれば、このあたりのことをHPなどに書いていただければ、教会を新しく訪れる人や、紹介する人にも、親切かな、とも思います。。もちろん、いろいろご事情はあるかと思いますが)
あとから知ったのですが、日本バプテスト連盟(公的な略称は、バプ連)は、次のような公式見解を発してくれています。LGBT新法成立にあたって、反トランスジェンダー的な言説が、SNSや政界で溢れていた時期です。必読です。
「性差別問題特別委員会」(引き続き敬称略)が、ジェンダー平等や、セクシュアリティに関する差別反対に関して、積極的に発信しているようです。
バプ連には、女性の牧師さんも多いということです。
前述のナッシュビル宣言についても見解を発してくれています。
3.日本バプテスト連盟と、会衆主義
ではなぜ、日本バプテスト連盟は、南部バプテスト連盟とこんなにも違うのでしょうか。
それは、バプテストが「会衆主義」「全信徒司祭(万人祭司)」であることが考えられます。
カトリックや、プロテスタントの正統主義の教派などは、ヒエラルキー的で、トップダウンな組織構造を持つといいます。対して、(大雑把な説明なのですが)バプテスト教会は、教会それぞれが独立しており、牧師もまた平信徒と変わりないという立場をとるといわれるようです。
で、あれば、同じ「バプテスト」であっても、多様な考え方が生まれるのが当然だということになるようです。
日本バプテスト連盟はおおむねリベラルな傾向ですが、一部には、「バプテスト教会 東京基督教大学 埼玉県」の牧師さんのように、いわゆる「保守的」な人もいる(その人の教会が保守的かは分かりませんが)、という状況も、頷けます。
(「バプテスト教会 東京基督教大学 埼玉県」の牧師さんもまた、神社仏閣も訪れるようになり、「いい意味で適当な信仰者になった」と書かれています。Empathyという概念についてもう少し調べてみるのをお勧めしたいですが、知的には誠実な方なんだろうと思います。)
以上の通り、日本バプテスト連盟はおおむね、「LGBT(に関する問題)についても、教会員で一緒に考えていきましょう(※)。頭ごなしに否定するのではなく。痛みを分かち合いましょう。」という立場のようです(あくまで印象です)。
ですから、LGBT当事者が信徒(あるいは訪問者)としてかかわる分には、比較的安心できそうなキリスト教団体だと思われます。
※ 当事者は「考える対象」ではなく、「すでに存在しているもの」ですので、「考える対象」「対話の対象」というのも、甚だ失礼な話なんですが。。「理解できなくても、慣れるのが大事。慣れてください」に尽きます。
なお、これは自分自身にも言っています⋯。正直私が理解しがたいトランスジェンダーの人もたくさんいます。が、ある程度慣れることはできます。また、どのような立場であっても、一方的に「受け入れろ」と迫るのは、ときに暴力性を持ちます。自分の苦しみを分かち合ってもらえたら、相手のことも知ろうとするのが、フェアな関係だし、長期的な関係をもつうえでの基本でしょう。
TOトランス当事者のかた、とくにトランスジェンダー女性へ。パス度は上げるに越したことはない、と私は考えます。パス度を上げることを「ミソジニー」とか言ってる馬鹿な人間のことは放っておきましょう。そんな馬鹿な人間に対しては、誰かが、「ほんの一部の人が女性的になることが女性抑圧になるわけないだろ。それより、もっと根本的な家父長制とそれに関する結婚制度やら職業上の差別やDV問題とかについてどうにかしろ、ボケ。ちんぽ騎士団。」と、言っていました。「ちんぽ騎士団」の意味は、調べてください。トランスジェンダー女性や女装者を断罪してミソジニーを克服した気になっている男性たちは「ちんぽ騎士団」なのでしょうか。
4.教条性とカルト
教会員(じゃない人も含め)みんなで考えていこう、というバプテストの会衆主義は、とても自由な雰囲気が感じられます。教条的であることは、それだけで、何かを取りこぼすことになってしまいます(※※)。
とくに関東でキリスト教に関心を持った方は、まずは「日本バプテスト連盟」の教会を探してみると、いいかもしれません。(関西は、同じく会衆主義的な会衆派の教会が多くありますね⋯)
もちろん、どんな教会であっても、人間の組織ですので、完璧はありません。お互いに期待しすぎない、というのが、大事でしょう。(絶対化することが、カルトにつながります。絶対化こそが一神教で戒められる偶像崇拝です。)
※※ その意味で、先の「バプテスト教会 東京基督教大学 埼玉県」の牧師さんのような見解の存在それ自体は、否定されるべきものでもありません。ただ、その断罪行為によって傷つく人々がいるというのは、意識されるべきでしょう。言葉は刃物です。
たとえば、パス度が低くかつ手術もしていないのに「女風呂に入れろ~」と主張する人々が増殖すれば、私も同様の主張をするかもしれません。ただ、実際はそんな人はまず見かけません。
まず見かけないし、存在しないのに、「可能性がある!」などといって議論の対象にすることは、端的に嫌がらせでしかありません。「あなたは〇〇人なので●●人を殺す可能性があります。よって、殺人者予備軍です。」と●●人の国で言われて不快に思わず納得できる〇〇人がどれほどいるでしょうか。
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