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組織を芯からアジャイルにする

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「組織を芯からアジャイルにする」ために。あなたの居る場所から「回転」を始めよう。
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#これまでの仕事これからの仕事

正しくやれているのに、残念な仕事

 何かにつけやるべきことを増やしてしまって、徐々に身動きが取れなくなってしまう。本来目指すべき目的の達成以上に、「これまでの仕事の考え方、判断軸とあっているかどうか」を優先してしまう。絶望的に時間が掛かり始めて、当初の想定よりも圧倒的に目処感がつかなくなっていく。要は、仕事を増やすことになるので、疲弊もする。やがてどこからと言わず、怨嗟の声があがりはじめる…。  このパターンは多くのことにあてはまる。例えば、新しいプロダクトや事業の開発、あるいはアジャイル開発をはじめて取り

そのプロダクト作りの「進め方の仮説」は立っているか?

 「スケジュール」というものを再考してみよう。スケジュールは必要だろうか、それとも不要だろうか。 スケジュール = 役に立たないもの  あまりスケジュールに良い印象を持っている人は少ないかもしれない。過去の体験から「厳しい締め切り」「終わりの見えないタスク」などを思い起こすからだろうか。あるいは、スケジュールによって仕事の進め方が固定化されてしまい、かえってやりにくさを感じるからだろうか。  ひとたびスケジュールを細かく記述したところで、やっていることが変わることがあるか

「組織を変える」とは、「言葉を変える」こと

 「組織を変える」とは、「言葉を変える」ことなのだろう。  使う言葉を変えると、「思考が変わる」。思考が変わると、「行動が変わる」。行動が変わると、「認識が変わる」。組織の中の多くの認識が変わると、組織は変わっていることになる。  なんだ、使う言葉を変えれば良いのか。いきなり、考え方を変えろとか、ものの見方を変えろというよりは簡単に聞こえる。ところが、組織の中で「言葉を変える」ことの難しさは相当なものだ。  言葉が変わるということは、単に新しい語彙をうわ言のように使えると

ミドルマネジメントもチーム化し、スクラムを始めよう

 「ミドルセカンド」について言及した。  もう一歩、ミドルについての論を進めたい。圧倒的な行動量で牽引するミドルリーダーと、現場オペレーションを実地で支えるミドルセカンドという存在。この層の思考性、志向性、厚みによって、変化の進み具合が変わる。  ミドルセカンドこそ、 "組織のスクラムマスター" を担う役割になる。ミドルセカンドがこれまでの方法や判断基準に囚われているようだと、変革は遅々として進まない。場合によっては、ボトルネックどころか変化に向けた抵抗勢力にすらなりえる

変革の起点を担う「ミドルリーダー」と「ミドルセカンド」という存在

 変革が軌道に乗る組織とそうではない組織の違いは何かを考えていた。もちろんただ一つの要因に基づきこの境が決まるわけではない。ここでは、共通する特徴の一つとして、「ミドルリーダー」と「ミドルセカンド」の存在をあげたいと思う。  伝統的な組織の構造はおなじみのピラミッドになっている。  変革の要因として、3つのディメンションがそれぞれ強調される。 (1) トップダウン  変革には全社的な方針策定が欠かせない。トップのコミットメントを前提に、トップのリーダーシップが必要だとい

なぜ、アジャイルに仮説検証を含めるのか

 書籍「正しいものを正しくつくる」で、仮説検証型アジャイル開発について言語化し、整理している。  なぜ、仮説検証を強調し、アジャイル開発と連動したスタイルを提案するに至ったのか。あらためて、整理をしてみる。観点として「解くべき問題の設定」と「解決手段の構築」の2つを用いる。  さっそく、結論はこのとおり。  解くべき問題が分かっているか? 解決手段は決められるのか?の回答に基づき、方法を選択する。解くべき問題は分かっているし、解決手段も考えたらあらかじめ決められる場合は

安易な "生産性向上" が、組織の息の根を止める

 今日は結論から。安易な生産性向上云々が、組織を殺しかねない。  至る所で、「効率への最適化に囚われ続けられないよう、探索と適応を始めよう」と話している。  その際に、合わせて「とはいえ、私達の仕事は効率を上げていかないと、グダグダのままではどうにもならない」とも言うようにしている。そう、効率への最適化が全くダメでゼロにしろという話ではない。むしろ、改善が必要不可欠なのは言うまでもないことだ。  生産性向上が現場や組織の中で掲げられるのは当然のことと言える。同じ価値提供を

価値をつくるのか? vs 組織をつくるのか?

 組織で新たな取り組みを始めようとする。例えば、これまでの事業領域を越えて、新たな価値を創出するための探索的なプロジェクトや組織を立ち上げようと。こうした動き自体はとても良い、というか、こうした動き出しを作るために現代組織では相当なる労力を必要とする。だからこそ、この "灯火" ともいうべき動きを丁寧に扱わなければならない。そうチャンスは多くない。  ところが、この手の動きで直面する一つの事象がある。それはいつの間にか論点が「組織構造」にフォーカスがあたり、そこから抜け出せ

"Googleの20%のルール" の復権その可能性への期待と「兼務」という呪縛

 探索の話を立て続けに。「探索」が組織に一様に必要であるということをここまで述べてきている。  このことを思い考え巡らせているうちに、そういえばと思い出した。「Googleの20%ルール」だ。  もう10年以上前だろうか。このルールの斬新さが、日本にも一定のインパクトを与えたのは。模倣しようとした組織もかなりあったのではないか。ただ、昨今はあまり耳にしない(その後の日本での実態は、私もよく知らない)。  もともとは引用にあるように、新たな創造のきっかけに狙いがあったわけだ

探索とは、知ること (差分型、越境型、探検型)

 たいていの組織において、探索する機会が不足している。「探索適応欠乏症」はいかなる事業にも起こる。事業の継続自体が「目の前のこと」への最適化を自ずと強いることになるからだ。だからこそ、探索と適応を事業、組織を選ばず、強調することになる。  デジタルトランスフォーメーションによる混乱が最盛期にあった頃は、私も探索適応は取り入れる領域は「絞るべきだ」と主張した。「組織の隅々まで、探索せよ」というのは、そのケイパビリティもろくにないところでは土台現実に欠ける話だった。トライアルを

「最適化」と「他にありえる可能性」の間を振り子のように動けるか?

 事業、それから組織そのものに向き合うことになって、はっきりと分かってきていることがある。「新規事業開発」で仮説検証型アジャイル開発を手にして、「デジタルトランスフォーメーション(DX)」で越境型のアジャイル、DXと隣り合わせの「組織変革」で組織アジャイルと、広がる戦線とともに得物も変えてきている。ただ、その芯にあるものは同じ。「探索」と「適応」だ。  説明のために厚く武装された、様々な言葉を剥ぎ取っていったとする。最後に残る言葉は「探索」と「適応」の2つになりそうだ。事業

なぜ、本を8冊もつくる必要があったのか?(後編)

いちばんやさしいアジャイル開発の教本 5冊目は「いちばんやさしいアジャイル開発の教本」。  コロナ前夜に書きはじめて、最初の緊急事態宣言のまっただなかに発刊したアジャイルの本。本を買おうにも、本屋やってませんよね、という状況下で本を出すことの不安といったら。幾冊か作っていたとしてもそれは不安ですよ。  「カイゼン・ジャーニー」「正しいものを正しくつくる」「チーム・ジャーニー」と、3冊も書いていたため、「アジャイル開発」も当然に語り明かしていた感がある。本をつくるにあたって

この先には、希望しかない。

この先には希望しかないと思った。  これがこの数年の数々のDX、組織変革の激戦の果てにたどり着いた私の結論。脇目もふらず時間を注ぎ込んだ、この日々。コロナとともにあったことさえ既に懐かしい。思うようになることがあるなんて思うな。折れる心なんて、とっくに捧げている。一体、組織に何が起きているのか。  日本の組織に共通する根深すぎる課題。一体どのようにして、この難題を乗り越えていくというのか。経営、マネージャー、現場が一体となって乗り越える? そんなものは必要条件でしかない。

どこから、どこへいくのか。

 どこから、どこへいくのか。長らく、この問いに向き合っているように思う。  実際のところ、多くの人がこの「2点間」の移動の中に身を置いている。仕事の上で、何を成し遂げたいか、またそのために自分の技や能力の何を磨くのか。  もう少し高い視座での見方もある。組織としてどこから、どこへいくのか。チーム、一つの部署、あるいは事業部、会社として。今どこにいて、これからどこに向かっていくのか。  つまり、私達は常に、どこから、どこへの途上にいることになる。  簡単にいかないのは、と