「組織を変える」とは、「言葉を変える」こと
「組織を変える」とは、「言葉を変える」ことなのだろう。
使う言葉を変えると、「思考が変わる」。思考が変わると、「行動が変わる」。行動が変わると、「認識が変わる」。組織の中の多くの認識が変わると、組織は変わっていることになる。
なんだ、使う言葉を変えれば良いのか。いきなり、考え方を変えろとか、ものの見方を変えろというよりは簡単に聞こえる。ところが、組織の中で「言葉を変える」ことの難しさは相当なものだ。
言葉が変わるということは、単に新しい語彙をうわ言のように使えるということではない。一定の理解が定着するということだ。間違った覚え方がされることなく、ごくごく一部で交わされているということでもなく。
大きな組織では、資料やミーティング、会話に使う言葉にかなりの注意を払う。何しろ、耳慣れない言葉では意思疎通がうまくいかない。限られた時間での会話で、その組織にとっての新しい言葉を不用意に踊らせると、意味をあわせるので時間が持っていかれる。だから、新しい言葉を作らず、経営が言った言葉、社内のパブリックな資料に掲示されている言葉を出来る限り使うようにする。
そうなると交わされる言葉に目新しさはなく、受け取りやすくもなる。そして、これまでの思考から離れられなくなる。組織は変わらない。
だから、新しい言葉をもとにしたせめぎ合いを繰り広げることになる。組織外の事例を元に言葉を引っ張ってくる。説明に、何かしらの記事、書籍を後ろ盾とすることも多い。加えて、新しい言葉を中心にした社内の勉強会、講演会を開き、言葉との接点を増やす。こうして言葉の流布、定着に向けた地道な活動を行う。
新しい言葉を理解する手がかりに「これまでの概念との比較」がある。"アジャイル"とは、PDCAと何が違うのか、これまでのカイゼン活動とは何が違うのかといった具合に。ここで激しい衝突が起こるのは珍しいことではない。
言葉とは、自分の認識を表すもの、代表するものだから、ときに「信念」に近くなっていることがある。だから、言葉を置き換える、これまでの認識を侵食するような動きには、過敏になりやすい。感情的な反応にも繋がる。そうなると、冷静な対話が難しくなる。
これまでの言葉を否定するわけではない、すなわち、これまでの信念を侵すわけでもない。ただ状況をより良くしようとするために、新しい選択肢を追加したいのだ。そんなスタンスが、新しい言葉には必要になる。