価値をつくるのか? vs 組織をつくるのか?
組織で新たな取り組みを始めようとする。例えば、これまでの事業領域を越えて、新たな価値を創出するための探索的なプロジェクトや組織を立ち上げようと。こうした動き自体はとても良い、というか、こうした動き出しを作るために現代組織では相当なる労力を必要とする。だからこそ、この "灯火" ともいうべき動きを丁寧に扱わなければならない。そうチャンスは多くない。
ところが、この手の動きで直面する一つの事象がある。それはいつの間にか論点が「組織構造」にフォーカスがあたり、そこから抜け出せなくなってしまう状態だ。組織の箱をどのように切り、どのような役割を置くか。その上でバイネームで具体的なアサインを考えていく。
実現したい価値の話を置き去りにして、気がつけば机上の組織構造の話に終始している。そんな状況のことこそ「屏風のトラ作り」と呼ぶ。
もちろん、実行体制をどのように組むか、そのプロセスはどうするのか、この議論は必要である。このロジも無いようであればもはや戦略でもなんでも無く、「大本営発表」でしかない。
問題は、意識無く組織構造の話にその多大なる時間を費やしてしまうところにある。組織としてこれからどのような価値をつくっていくのか? この容易ならざる問いに仮説を立て、検証に走り出すことにこそ、もっとも時間を費やすべきだ。
ところが、「探索適応欠乏症(探索の機会そのものが不足しているため、組織にケイパビリティ・経験知が圧倒的に足りていない)」の組織が、この手の戦略を立てようとすると、時間の投資先を誤る。
価値とは何か?を、勘とこれまでの経験だけで決めていくことの危険性は自明になっている。だからこそ探索が必要になる。しかし、探索の方法についても知見がない。だが、組織構造なら論じることができる。目に見えないもの(価値)でも、経験のないもの(探索)でもないものだから。むしろ、組織構造の話なら、慣れたテーマになる。だから、組織構造にフォーカスしてしまう。
さらに、残念なことに、多くの組織において「その場しのぎで "兼務" でどうにかする」をこれまで選択してきており、リソースマネジメントの機能が実質崩壊している背景がある。誰がやるの問題が最初から突きつけられることになる。屏風に描いた「トラ」は、どれだけ頓知を振り絞ったところでどうにも出来ない。
あらためて述べたいのは、シンプルだ。価値とは何かに焦点をあてよう。もちろん、組織の話なのだ、組織構造もプロセスも大掛かりになるほど取り返しをつかせるのが難しいのも分かっている(「ひとたび組織として決めたことだから」云々)。
だがそれでも。構造もプロセス自体も、仮説検証の範疇として捉えなければならない。なぜなら、探索自体を「組織初」として実装するのだから。正解なんて、あらかじめ出せるわけがないではないか。
それが真として言えるならば、探索活動に乗り出すこと自体と矛盾してしまっている。そんな探索活動が上手くいくとは到底思えない。なぜ事業の探索は仮説検証で行うのに、組織の取り組みは正解が分かっていることになっているのだ?
ただし、価値の仮説を立てるにしても、それを表現する手段がそれほど充実しているわけでもないことにも早晩気づくことができる。何をどう描けば価値の仮説を考えていることになるのか。なおかつ組織の共通言語として耐えうるものでなければならない。
まずはキャンバス一枚を書くところから始めよう。数十枚、百何枚のプレゼンテーション資料を作ることが、価値を考えることではない。考えることと、資料をつくることを、分けよう。言うまでもない。まずは前者に時間を費やすのだ。そのための手段は、最小限でいい。
仮説キャンバスをどう書くかは「正しいものを正しくつくる」に詳しくかいた。簡潔な解説はまた別で文章にしておきたいと思う。小さな仮説検証の始め方は「これまでの仕事 これからの仕事」をまず開いてみて欲しい。