探索とは、知ること (差分型、越境型、探検型)
たいていの組織において、探索する機会が不足している。「探索適応欠乏症」はいかなる事業にも起こる。事業の継続自体が「目の前のこと」への最適化を自ずと強いることになるからだ。だからこそ、探索と適応を事業、組織を選ばず、強調することになる。
デジタルトランスフォーメーションによる混乱が最盛期にあった頃は、私も探索適応は取り入れる領域は「絞るべきだ」と主張した。「組織の隅々まで、探索せよ」というのは、そのケイパビリティもろくにないところでは土台現実に欠ける話だった。トライアルを局所化しなければ乗り越えられるはずもない。
数年を経て、いくつもの現場と組織でのジャーニーを越えて、今ここにおいては別の見方を持っている。探索適応は、領域を選ばず。開発系はもちろんのこと、マーケティング、セールス、サポート、バックオフィスに至るまで「これまでの仕事」に向き合う必要がある。
いや「必要性」を強調したいのではない。強調したいのは、向き合った分だけ、必ず発見があるという「可能性」のほうだ。最適化に振り切っていた期間が長いほど、一歩探索に踏み出るだけで数多くの学びがある。
日本の組織の、広い意味での "生産性" とは、改善やデジタル化以上に、ここにあると想像する。今までの仕事の効率性を上げる以上に、今まで実現できなかった価値の生み出しに相当なる余白がある(改善やデジタル化はその余白に取り掛かるための前提にあたる)。
あらためて「探索」とは何か? 探索とは、知ることだ。顧客を、まだ見ぬ顧客を、従業員を、まだ見ぬ従業員を、組織の外を、社会を、視界に入れる。見て、知ることに、ほかならない。
ただし、闇雲に飛び出すだけではその後が続かない。何を知るつもりなのか? 最初の問いに答えておく必要がある。顧客は誰か? 解くべき課題は何か? 何がもっとも適した価値貢献なのか? その答えが「仮説」だ。
「仮説」を立てずに飛び出すのは、心意気は十分だが、続かない。必ずと言っていいほど迷い始める。顧客の声を得ようと、話を聞いて回る。聞いて回るともちろん発見がある。学びになる。ただし、次に繋げる算段がない。インタビューしてそれからどうするの? に用意がなければせっかくの学びは単なる情報のまま死蔵していくことになる。
「仮説」を立てよう。難しい話ではない。何を知ることが、自分たちにとって次の判断と行動に繋がるかを想像することだ。踏み出す方向は大きく3つある(差分型の探索、越境型の探索、探検型の探索)。
差分型の探索:チームや組織が既にプロダクト提供している範囲、業務領域にあたるところでの探索を「まだ見ぬ顧客」に対して行う。全くのノーナレッジではなく、これまでの知見があるため、その知見が新たな顧客層にとって通じるか、同様にあてはまるかを見る。既知の知との差分が発見となる。
越境型の探索:これまで価値貢献してきた領域・ジャンルとは異なるところで、「目の前の顧客」について探索する。例えばこれまで会計領域のプロダクトを提供しているならば、販売系や人事労務など、ほかの業務領域での価値の可能性を探る。ジャンルは未知だが、目の前の顧客とともに探索を行うため、最初の動き出しの手がかりはある。
探検型の探索:領域・ジャンル、対象顧客ともに未知の領域で探索する。もっともハードルが高く、手がかりも薄いところからの仮説検証となる。それはさながら探検的であり、チームでの協働や組織的支援が欠かせないだろう。
いきなり、何も分からないところでの探索を始めるよりは、この図で言う越境型か差分型の探索を行うのが初手としては良いだろう。探索の方法自体について、チームの練度をあげていく。その上で、探索の領域を広げ行くことにしよう。