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「最適化」と「他にありえる可能性」の間を振り子のように動けるか?

 事業、それから組織そのものに向き合うことになって、はっきりと分かってきていることがある。「新規事業開発」で仮説検証型アジャイル開発を手にして、「デジタルトランスフォーメーション(DX)」で越境型のアジャイル、DXと隣り合わせの「組織変革」で組織アジャイルと、広がる戦線とともに得物も変えてきている。ただ、その芯にあるものは同じ。「探索」「適応」だ。

 説明のために厚く武装された、様々な言葉を剥ぎ取っていったとする。最後に残る言葉は「探索」と「適応」の2つになりそうだ。事業にも、組織にも、共通して必要な手がかり。もっとも不足しているcapabilityであり、あり方。単なるやり方、方法をスキル習得の一環として得ていこうという話ではなく、意図的に、組織戦略的に振っていかなければならないこと。

 「最適化」の慣性を振り切り、別の可能性を模索する。戦略レベルでうわ言のように言って済む話ではない。日常の、日々の仕事において、明確な意志をもって臨む必要がある。それは、「振り子」のような例では生ぬるいようだ。位置エネルギーを通して、自ずと手にできるものではない。誰かが振り落とすのを待ち続けたところで、何も変わりはしないだろう。

 かくいう私も、「とはいえ、探索適応を必要とする人や部門は限られる」と考えていたころがある。初期段階のDXの前線では「新規」と「既存」を分けて、ある種の壁を維持することで複雑性を低減するべきだと。既存の事業に、仮説検証やアジャイルを持ち込むことを極めて慎重に捉えていた。

 だが、もはやそんな話ではないのだ。いくつもの業界、企業の中で佇む中で、はっきりと感じた。絶望と希望の両面を。「最適化」の影響は限られた組織にのみ起こる話ではない。むしろ事業を存続させるために、事業が続く限り、抱えなければならない。そして、「探索適応欠乏症」へと陥る。どのような事業組織であっても、この病と向き合わなければならない。

 だからこその希望もある。高止まりした振り子が持つ可能性の、その大きさ。探索ゼロの状態から、それを始めたときに得られるもの。その広がりを想像するのには苦労しない。

 われわれはどれほど、顧客という「相手」を、社会という「外側」を、理解しているだろうか? われわれはどれほど、自分の仕事のあり方とやりようを見直し、まともな最適化に取り組めてきただろうか? 最後に新しいアイデアを試したのはいつのことだったか? これらの問いにまともに応えられないとしたら、あらゆることが「発見」に等しくなる。それを可能性と言わずして何と言うだろう。

 「探索」と「適応」の解放。「これまでの仕事 これからの仕事」とは、仕事論、仕事術を語るところに本意があるのではない。自分たちの世界を変えていこうという、語りかけなのだった。


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