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組織を芯からアジャイルにする

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「組織を芯からアジャイルにする」ために。あなたの居る場所から「回転」を始めよう。
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#組織を芯からアジャイルにする

なぜ、組織を芯からアジャイルにする、のにコミュニティが存在するのか

 アジャイルに取り組んでいく、ソフトウェア・プロダクト開発ではなくて、組織や他の業務において。「組織アジャイル」と呼んで、その啓蒙、推進、後押しをこの数年行ってきている。少しずつ、組織アジャイルの動きは増えている。  ただし、「どこからはじめたらいいのか」という疑問は当初から引き続き寄せられている。おそらく、その逡巡は「どこからはじめたらいいか分からない」というよりは「どこからでもはじめうるが、本当にそれでいいだろうか」の方に近い。確かに、はじめ方はさまざまある。  そう

5年ジャーニー

 1年がまた巡り、もっとも長いタイムボックスの「ふりかえり」を迎える。1年のタイムボックスであり、同時に1年ずつ加算されていく「これまで」のふりかえりでもなる。今年は45年分。残すところ、5年。  この数年、「DX」を切り口として日本の数々の組織に関係してきた。ときにそれは深い深い洞窟を降り進んでいるようでもあった。「組織とは何か」「その組織は何か」という問いに答えるためのいわば探検なのだ。  いけどもいけども、「突破口」というべき分かりやすいものが見つかることはない。ゲ

ミドルマネジメントもチーム化し、スクラムを始めよう

 「ミドルセカンド」について言及した。  もう一歩、ミドルについての論を進めたい。圧倒的な行動量で牽引するミドルリーダーと、現場オペレーションを実地で支えるミドルセカンドという存在。この層の思考性、志向性、厚みによって、変化の進み具合が変わる。  ミドルセカンドこそ、 "組織のスクラムマスター" を担う役割になる。ミドルセカンドがこれまでの方法や判断基準に囚われているようだと、変革は遅々として進まない。場合によっては、ボトルネックどころか変化に向けた抵抗勢力にすらなりえる

変革の起点を担う「ミドルリーダー」と「ミドルセカンド」という存在

 変革が軌道に乗る組織とそうではない組織の違いは何かを考えていた。もちろんただ一つの要因に基づきこの境が決まるわけではない。ここでは、共通する特徴の一つとして、「ミドルリーダー」と「ミドルセカンド」の存在をあげたいと思う。  伝統的な組織の構造はおなじみのピラミッドになっている。  変革の要因として、3つのディメンションがそれぞれ強調される。 (1) トップダウン  変革には全社的な方針策定が欠かせない。トップのコミットメントを前提に、トップのリーダーシップが必要だとい

安易な "生産性向上" が、組織の息の根を止める

 今日は結論から。安易な生産性向上云々が、組織を殺しかねない。  至る所で、「効率への最適化に囚われ続けられないよう、探索と適応を始めよう」と話している。  その際に、合わせて「とはいえ、私達の仕事は効率を上げていかないと、グダグダのままではどうにもならない」とも言うようにしている。そう、効率への最適化が全くダメでゼロにしろという話ではない。むしろ、改善が必要不可欠なのは言うまでもないことだ。  生産性向上が現場や組織の中で掲げられるのは当然のことと言える。同じ価値提供を

価値をつくるのか? vs 組織をつくるのか?

 組織で新たな取り組みを始めようとする。例えば、これまでの事業領域を越えて、新たな価値を創出するための探索的なプロジェクトや組織を立ち上げようと。こうした動き自体はとても良い、というか、こうした動き出しを作るために現代組織では相当なる労力を必要とする。だからこそ、この "灯火" ともいうべき動きを丁寧に扱わなければならない。そうチャンスは多くない。  ところが、この手の動きで直面する一つの事象がある。それはいつの間にか論点が「組織構造」にフォーカスがあたり、そこから抜け出せ

「最適化」と「他にありえる可能性」の間を振り子のように動けるか?

 事業、それから組織そのものに向き合うことになって、はっきりと分かってきていることがある。「新規事業開発」で仮説検証型アジャイル開発を手にして、「デジタルトランスフォーメーション(DX)」で越境型のアジャイル、DXと隣り合わせの「組織変革」で組織アジャイルと、広がる戦線とともに得物も変えてきている。ただ、その芯にあるものは同じ。「探索」と「適応」だ。  説明のために厚く武装された、様々な言葉を剥ぎ取っていったとする。最後に残る言葉は「探索」と「適応」の2つになりそうだ。事業

なぜ、本を8冊もつくる必要があったのか?(後編)

いちばんやさしいアジャイル開発の教本 5冊目は「いちばんやさしいアジャイル開発の教本」。  コロナ前夜に書きはじめて、最初の緊急事態宣言のまっただなかに発刊したアジャイルの本。本を買おうにも、本屋やってませんよね、という状況下で本を出すことの不安といったら。幾冊か作っていたとしてもそれは不安ですよ。  「カイゼン・ジャーニー」「正しいものを正しくつくる」「チーム・ジャーニー」と、3冊も書いていたため、「アジャイル開発」も当然に語り明かしていた感がある。本をつくるにあたって

変化の手がかりを、その組織自身の「過去」から得る

 10年近く前の話。ある企業からお声がけをもらい、幹部に向けて「アジャイル」について説明したり、質疑応答したときのことを思い出した。よくある "情報交換" で、特段の内容がその会話にあったわけではない。その会合は結果的には、何にも繋がらなかった。その組織がその後アジャイルに乗り出した、なんていうことも耳に入ることはなかった。  幹部の方は「アジャイル」に懐疑的だった。その会合の中で、アジャイルに関する理解の上での溝をどうにか埋めたいというのが会を設定した人の思惑だったはずだ

「アジャイルは手段」がもたらす誤謬

 「アジャイルは手段だから」という、別の言いたいナニカを成り立たせるためのオピニオンが、結果的に何も起こさないことになる事象について言及しておきたい。「アジャイルは手段だから」の後に何が続くかによってこのオピニオンに意義が見出せるか違ってくる。  「アジャイルは手段であって、目的ではない」は、アジャイルに関してよく耳にするフレーズの一つだ。このフレーズの周辺で、違和感や疑義があがることは少ない。  ところが、この言及は何にも繋がらない可能性がある。むしろ、それこそ本来実現し

「整合を取ろうとしてみる」ことで、必要な「変化の段階」に気付ける

 先日の「シン・正しいものを正しくつくる」でコンセプトにおいたのは「整合を取る」ということだった。  左に仕様、右にソフトウェア。  左に仮説、右にプロダクト。  左に人材モデル、右側に育成施策。  左右の整合を取る、取れるように左側を見出し、あるいは右側の実現に注力する。得てして、左が整っていないのに、右側だけを思い込みや深く考えずの取り組みだけで進め、期待外れになる。だからといって左側が大事だからと莫大な時間を投じたところで、正解に辿り着けるわけでもなく。やはり結果は

組織をシンからアジャイルにする

 書籍「組織を芯からアジャイルにする」を補完する講演を行った。終えたときに、「そうそうこういうことが言いたかったんだよね」と気づけたりすると、準備も楽しくなる。 (「シン・正しいものを正しくつくる」とあわせて、2月はこの2話に余暇のほとんどをつぎ込んだ)  「組織」という言葉がつくと事は難しくなり、距離のあるテーマに思えてくる。「組織を芯からアジャイルにする」にあたって、一人ひとりで何が出来るのか。出来ることはある、むしろその手がかりはこれまでの行いの中にある。そうしたメッ

あなたが組織の一員であれば、自分自身がその「プロダクト」のユーザーになる

 プロダクトを生み出すこと。10年、20年この手の仕事に関わっていても「発見」がある。面白いと思う。「人の営み」こそが一番分からなくて、常に仮説と挑戦が求められ、また学べる行為なのだろう。  「プロダクト」は「人の営み」にまつわり("使う人" と "作る人" 両者にまつわる)、その役割として何らかの価値の生み出しが期待される。探求を重ねても分からないことが現れてくる。奥深い。  何らかのプロダクトを「作る」ということにどれほどの意義があるのか。もう何年か前に辿り着いているこ

2022年で終える一つのジャーニー。そして、新たに始める2023年。

 一年を終えるごとに、毎回思うのは「この一年がこれまでの人生で一番働いた」ということ。2022年こそ、最もあてはまる年になったと思う。  まず、2冊本を書いた。 デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー 組織を芯からアジャイルにする  どちらも、この数年を表現する2冊になっている。  2020年コロナ禍がはじまると同時に、新たな自身の活動として、デジタルトランスフォーメーションに振り切ってきた。この文脈に振り切ったことではじめて見えてきたことが沢山ある。  思っ