哲学: 優しい人になる
「優しさとは見返りを求めない他者への貢献だ」そういった人になりたいと思うが、見返りを期待してしまうのが人間だ。
しかし、中には見返りを求めない優しい人がいるのも事実ある。
それがわかっていればいいが、「他人の優しさはすべて裏がある」とひねくれた性格の持ち主もいる。
普段の共通感覚がデタラメだと、まともな優しい人に出会った時に、新しい発見としてではなく、確固とした奇妙な共通感覚が変更の邪魔をする。
人間の利己的な心は、おかしな人であってもそれが真っ先に出てくるようだ。
自分の利益を失いたくない、いや、そんな表現とは違う、自分のものは一切渡さない、と言った方が適切かもしれない。自分に対する強い執着だ。
そうしたひとは、他人に貢献した経験は一切無いに違いない。人から奪うことだけしか考えられないのだろう。
ぼくが「他人であっても良い人を探せ」そして「そんな人を大切にしろ」と言うのは、自分にとっても得になるが、自分の徳を積むことにもなるからだ。
そうすれば、自分自身が、次には他人にとって良い人になるかもしれないからだ。
他人から選ばれる人はそういった人だ。選ばれない人はこの反対の人だ。思い当たる人を何人も挙げることができるはずだ。
人間は、良い人の相互関係、そうやって生きていくことが健常で最終的な世界なのではないかと思えるのだ。