考察: 努力にも限界はある
ぼくは日々何とか変化することができないかと考えているのだが限界もある。
運動はやり過ぎると必ず壊れる。
考え過ぎることは考えようとしても課題が見つからず停滞する。
食べ過ぎ飲み過ぎは言わなくてもわかる。
ぼくは才能はないけれど脳の可塑性の働きを信じて絵を描くことで自分の変化を確認している。それにも限界はあるだろう。
今回もデッサンを行った。
仕事をずる休みして、普段行けない場所へ描きに行った。絵を描くことはいまだに嫌いにはならない。
裸婦を描くのは解剖学に強い興味があるからだ。ランドマークの部位が解剖学的に分かっているので楽しい。仕事にも役に立つ。
なかなか上達はしないけれど、自分の想像できる能力の七割五分から八割あたりまできた。制限された時間内で完成させるので仕方がないのかも知れない。
脳の可塑性は、欠点を補うべく「違和感」という課題を提供してくれる。
この「違和感」を消すために何度も何度も失敗しながら変化させていく。
心の変化も同じことだ。「違和感」に従うことが大切なのではないだろうか。
写実的なデッサンから、さらに観察することで、自分の印象に従った絵に変化するのではないかと思っている。
しかし、それは才能ではなく脳の機能変化なのだ。限界に直面すると方向を変えるのだ。