哲学: 哲学の効用
「哲学って何がいいの?」と問われることがある。
良い質問だ。
いろんな人がいろんなことを言うので混乱するのが哲学についてだ。
いろんなことを言う人の中の一人がぼくだ。
ぼくは哲学を実践に使いたいのだ。行動の源にしていこうと思っている。
普遍的なものの探究ではなく「行動の源としての思考」がすでに普遍的なものだと思うのだ。
哲学の知識や研究についての話が哲学ではなく、考えることを考えるのが哲学だと理解しておいた方が正解に近いと思う。
哲学を実践しようとする人は稀だ。考えることと実践することの能力は別の場合が多い。
食べることは好きだけど料理は苦手と似ている。いや似ていないか。
一つ実践の参考になる話をしようと思う。
ウィリアム.ジェイムズが著書の中で、パースの話を引用した良い話だ。
「われわれの信念こそ、われわれの行動を支配するものである。一つの思想の意義を明らかにするには、その思想がいかなる行為を生み出すに適しているかを決定しさえすればよい」
といったことだ。
あなたの信念を表すとどういったものになるか。
あなたの信念が、どういったものを表すに適しているかを示せばいいのだ。何について考えるかも大切だ。
「自分らしく生きる」という人は、「らしく」の定義や信念を明確にして行為し、それを示せばいいということになるだろう。それが何に適しているかがわかるはずだ。
「自分らしく」を「気楽に生きる」といった間違った意味で使うなら、その答えはすでに示されている。
「信念とは何か」を考えるのも哲学の仕事だ。
「夢を追いかける」という信念の持ち主は、生涯「夢を追いかける人」になるだろう。
哲学はそういったことを考え、整理しながら信念を明確にしていくのである。
そして、その信念が表すものが「それ」なのだ。
何もない信念の行為は、何もないのが「それ」なのだ。
何を対象に考えるかは人それぞれで、その集合が哲学全般を指すと思う。
信念は間違いを繰り返し修正しながら磨き上げれば良いのではないかと思っている。
そうしていれば迷いは消えて自分というものが現れてくる。その自分が考えた「生きる」ということが意味をもつようになるのだ。
難しいどころか簡単な話なのだ。