おゆう

本音はいつだって、温かい。 母との話、子育ての話、お家の話。 フィンランド、インテリア、小鳥、大空とコーヒーが好き。 noteとインスタグラムを行ったりきたり𓂃𓂃自由に書いています⁡𓂃。 ⁡ ⁡ ⁡

おゆう

本音はいつだって、温かい。 母との話、子育ての話、お家の話。 フィンランド、インテリア、小鳥、大空とコーヒーが好き。 noteとインスタグラムを行ったりきたり𓂃𓂃自由に書いています⁡𓂃。 ⁡ ⁡ ⁡

マガジン

  • - 子育て、いろいろ -

    テスト

  • − 私の散歩道 -

    人生の散歩道で、出会った人。できごと。思ったこと。心揺さぶられたこと。

  • ー 小さな秘密の告白 ー

    エッセイは、私の中の秘密の告白。

  • − 本音はいつだって温かい −

    本音って、まるで子どもみたい。純粋で、弱くて、まっすぐで。でも、何より温かい。言おうとすると、泣きそうになるもの。恥ずかしくなるもの。心が熱くなるもの。 そんな本音にたどりついた日の、私の話をお届けします。

  • - お母さん、あのね -

    私と母の紡いできた親子の関係を、透明な気持ちで紐解いていくエッセイです。 小さい頃からずっと抱いてきたこじれた母への感情を、受け止め、癒し、母への本音を見つけるために書いています。私と同じように、母親との関係に苦しんできた方にそっと届いてくれることを願って。そして、いつか母へ、このエッセイを贈ります。

最近の記事

  • 固定された記事

つまり、私が書く理由

小さい頃から、書くことが好きだった。具体的には小学6年生の頃からだったと思う。博学な父と、国語の教師のもとに生まれた家には、無数の本があり、日常的に本を読む環境と、合わせて読書感想文を書くという習慣があったのを覚えている。 ⁡ どんなに分厚い本を読む時にも、本を開くと自分の中にピアノのようにリズムが降りてきて、それに合わせて読んでいた。 ⁡ 小学6年の時に学校で、物語を書くという宿題が出た。私はとてもドキドキした。今でも覚えている。私の初の書き下ろしタイトルは「空色のソラ」。

    • いつもと違う朝にしてみたら。

      いつもの朝のルーティンを今日だけ変えてみたら、 すごく素敵な朝になって驚いている。 いつもは幼稚園バスを見送ったらそのまま私は自分の活動を始めている。 会社に勤めてはいないけれど、始業時間は9時のつもり。 でも今日は珍しい用事が日中に入っていたので 朝の限られた時間をどうするか考えて、直感でスーパーに行った。 8時30分の開店時刻に到着したので、今日最初のお客さんが私。 広い店内で悠々自適に買い物ができた。 基本的にスーパーの買い物は時間に追われていることが多いけれど、い

      • 同窓会があった日から

        この日、同級生3人で夜ご飯を食べた。 このあと、スタバに閉店時間までいて、電車で別れる直前までおしゃべりした。 学生みたい。 その話題は、その日の昼間にあった母校の同窓会のこと。6年間過ごした中学高校の校舎で、仲間と先生が集まった。 その日忘れていた記憶が次々と蘇ってくる度に、 頭の中で溺れそうになるほど色んな感情が溢れてきた。 思い出したこと。 校則のことでよく先生に呼び出され、職員室で立たされたこと。 途中でいなくなってしまった友がいたこと。 カトリックの学校だっ

        • 3歳児健診の日

          ベビーカーも抱っこ紐も 我が家の景色からいなくなった今、 私の体と子どもの体が常にくっついていたあの頃を、心から懐かしく思う。 あの頃の大切な記憶の1つに、 〈3歳児健診〉の日が私には刻まれている。 3歳児健診は、医師や保健師さんに子どもの発育の状況を確認してもらう、母としては我が子が判定にかけられるような日でもある。 長男の3歳児健診の日は、最悪だった。 当時多動気味で新しい場所に敏感だった彼は、 もちろん周りの子のように座っていられなかった。誰より大きな私のマザー

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        • - 子育て、いろいろ -
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        • ー 小さな秘密の告白 ー
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        • − 本音はいつだって温かい −
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        • - お母さん、あのね -
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        • - 私とお片付け -
          2本

        記事

          でべそ

          小学3年になる息子の話である。 初めて、私の体から出てきた赤ちゃんは それはそれは頭の大きな子で、よく泣き、よく寝ない赤ちゃんであった。 授乳も寝かしつけも、お互いになんとなく、かみ合わない。 おまけに1ヶ月くらいすると、 その子の「おへそ」はあっという間に ピンポンボールみたいに大きくなって驚いた。 臍ヘルニア(さいヘルニア)。 だいたいは自然に治っていくよとみんなが口を揃えた。 いつしか本当にそれは小さくなって 小さくなって  気にもとめなくなっていった。 でも

          だからいつまで経っても

          夜の8時15分にインターホンが鳴った。 この時間に来る人はあの人しかいない。 新聞の集金のおじさんだ。 引き落としにする手続きが、手違いで完了しておらず もう何年もその人を働かせてしまっているのは 心のどこかで 〈 集金 〉というシステムを 愛しく感じはじめているから、かもしれない。 小さい頃には当たり前だった集金の風景。 いつも同じ日の同じ時間に、 たわいもない世間話を持ってやってくる。 それは一見効率的とは言えないムダな時間に見えたのだけど そう言い切れなく

          だからいつまで経っても

          「今日はもうなんか全部ムリ」

          いつも朝6時半になると自ら起きてくる 小学3年の息子が今朝は起きてこなかった。 カーテンを開けに行くと、 不機嫌そうにはいあがってはきたが 気づいたら再びソファで寝ていて、 その顔に文鳥のコッチが乗っかっていても 気づいていない。 ギリギリまで寝かせてあげたいけれど、 ギリギリが好きではない彼にとって 今起こした方が親切か チラチラと迷いながら、朝食の準備をしていた。 そして、出発30分前になりついに彼が口を開き 「今日はもうなんか全部ムリ」と言った。 私と5歳の妹

          「今日はもうなんか全部ムリ」

          通学路は、私のルーツだった

          私にとって小学校の6年間は これまでの人生の中で最も印象に残っている期間であるかもしれない。 今でも、ふと、30年前の記憶が蘇ってくる。 それは小学生の私。 中でも、片道1.8キロを毎日20分かけて歩く その通学路の景色は、 いくどとなく私にふと語りかけてくる。 なぜか寂しさや孤独の感情と共に。 その記憶を確かめたくて、小雨ふる5月に その道を歩いてだどってみることにした。      𖦞 「小学校前」というバス停で私は降りた。 「創立150周年記念」と書かれた青い垂れ

          通学路は、私のルーツだった

          フラダンスに恋する

          ハワイ語には、「自然(nature)」 という言葉がない。 それは、〈人〉と〈自然〉を分けていないから。 あえて言葉がいらないからだという。      𖦞 私とフラダンスの出会いは 2012年のホノルルマラソンだった。 遠くに見えた 広大なカピオラニ公園の芝生で踊る集団に 目が釘付けになった。 初めてそれを見たとき 素足で大地を踏み締めながら 人なのか植物なのか 分からないような動きをしていると思った。 ゆったりとした動きの中に 腕が次々としなやかに伸びていき、

          フラダンスに恋する

          最初で最後の『大好きだよ』

          ある日花屋で、仏花を丁寧に選ぶ人を見て、 数年前に亡くなった私のおばあちゃんのことを ふと想った。 田舎のおばあちゃんという言葉が似合うその人は 背中が丸くて、しわがたくさんあって、 可愛くて優しい目をした人だった。 家族が集まる時にはいつもうどんを打ったり、 茶碗蒸しを作ったり、畑から野菜をとってきては 朝早くから料理で迎える準備をしてくれていた。 お茶うけに、と出てくるきゅうりの漬物。 なぜか食事の後にでてくる、おはぎ。 おばあちゃんを囲むこたつはいつも温かくて、

          最初で最後の『大好きだよ』

          目標は数字にあらず、景色。

          とある日、こんな話を聞いた。              𖦞 その話を聞いた時突然、2つの過去が頭に湧き上がった。 まずは中学生の時、英語のスピーチコンテストの日だ。 私は全校生徒の前で、1ヶ月以上声が枯れるまで練習した英語のスピーチを大きな講堂の壇上で発表した。今でも思い出すと、あの時の胸の振動を思い出すほど、私にとって大舞台だった。スピーチを終えて自席へ戻った時の大きな達成感は、入賞者の発表と同時に絶たれた。 その日の放課後、私は毎日練習に付き合ってくれた先生のもと

          目標は数字にあらず、景色。

          自然の中の静けさで、私は泳ぐ

          本当によく考えてみれば、私は小さい時から〈静けさ〉を好んだ。 「明るくて社交的」と周りから言われていたから、実はそのことに自分でも気づいていなかった。 本当につい最近まで。                 𖦞 自分が自然を愛する人であったことは、子どもを出産してから思い出した。 私は息子と虫採りを楽しみ、虫を飼い観察し、ザリガニを一緒に釣り、木に共に登り、彼をボーイスカウトに誘って一緒に楽しんでいる。私は娘と、木の実や野花を摘むのが好きだ。里芋の大きな葉っぱに雨水が

          自然の中の静けさで、私は泳ぐ

          私のサードプレイス

          今日から新学期。 娘と手をつなぎ、幼稚園バスが来るバス停へ5分ほど歩く。 息子の時から数えると、そのバス停へ通うようになって7年目の春となった。 今日から、そのバス停の長老が、私になった。         𖦞 7年前初めてそのバス停に行った日、 周りのお母さんたちの輪に入るのが怖かった。 世間話をする時間が苦手で、でも一人きりでバスを待つ事も嫌だった。 毎日顔を合わすことに気が重くなったこともあるし 誰かと誰かが仲良くしていることが気になったりすることもあっ

          私のサードプレイス

          おおきな おおきな 勘違い

          ⁡ 大人も子どもも、結局同じだ。 ⁡ ⁡ 保育士の仕事をさせてもらって、確信へ変わったことがある。 ⁡ ⁡人には、〈ここが凹んでいる〉〈ここが膨らんでいる〉というのがある。 ⁡ ⁡子どもはそれが顕著だけど、隠しているだけで私たち大人も全くそれだ。 ⁡ ⁡その凹みや膨らみを、なくそうとしたり、整えようとしたり、隠そうとしてきた。 ⁡ 私のこれまでの人生もそうだし、私の子育てもそんな時期があった。 ⁡ ⁡ ⁡ だけどそれは、 ⁡ ⁡おおきな おおきな 勘違いで ⁡ ⁡その凹みや膨

          おおきな おおきな 勘違い

          Today is a good day. ~1.2.3~

          【Today is a good day. 1 】 ⁡【Today is a good day. 2 】 ⁡【Today is a good day. 3 】

          Today is a good day. ~1.2.3~

          おかえりなさい

          こんなことを書くのもためらわれるけど、 〈夫と同じおそろいのものを持ちたい〉 と密かに思っていた。 それは映画『花束みたいな恋をした』を観てからで、お互いの本棚の中身がまるで同じという恋人が、わざとではなくて双子かのように、服やスニーカーがデートの度にかぶってしまうという、そんなところが私たち夫婦には全くないと思ったから。 結婚した時にはおそろいの結婚指輪をドキドキしながら探したはずなのに、私はもう指輪はきつくて普段はめなくなってしまったし、結婚当初から二人の共通の趣味は

          おかえりなさい