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3歳児健診の日
ベビーカーも抱っこ紐も
我が家の景色からいなくなった今、
私の体と子どもの体が常にくっついていたあの頃を、心から懐かしく思う。
あの頃の大切な記憶の1つに、
〈3歳児健診〉の日が私には刻まれている。
3歳児健診は、医師や保健師さんに子どもの発育の状況を確認してもらう、母としては我が子が判定にかけられるような日でもある。
長男の3歳児健診の日は、最悪だった。
当時多動気味で新しい場所に敏感だった彼は、
もちろん周りの子のように座っていられなかった。誰より大きな私のマザーズバックを持っていき、玩具や絵本を次々と取り出しては、息子の名前が呼ばれるまで耐えるのが私の勤めだった。ふと気がつくと、周りの子たちはぴたっと椅子に座っていて、みんな私たちを見ていた。そう、いつも私はこの空気感が嫌いだった。私の子だけいつもじっとしていなくて、周りの目線は息子でなくて、私に向けられているように感じた。
マザーズバックから全て出しきったのを確認して息子は廊下へ飛び出していく。
保育士の先生たちが笑顔で追いかけていくけれど、息子の叫び声はどこまでも続いて一向に捕まる様子がない。結局数人がかりで確保された息子は、大泣きで私の元へ戻ってきた。
「すみません、すみません」
私はあの当時、外に出るたびにこの言葉ばかり言っていたと思う。
もちろん健診の結果なんて覚えていない。
記憶に残っているのは、終始大泣きの息子を抱き抱えて、謝り続け、検査の部屋をみんなに見られながら渡り歩き、ぐったりとしながら会館を出たことだけだ。
1つ私がよくやったことといえば、こうなることを予測して、私の母を駐車場にスタンバイさせてすぐに帰れるように手配していたこと。
1時間泣き続け脱走し続けた彼は、車に乗せられすぐに寝た。
疲れ果てた私を見て、母はパスタ屋さんに寄ってくれた。眠っている息子を母が抱っこしてくれている間に、湯気のたったペペロンチーノを一口食べると、涙がポロポロっと出た。
私の何がいけないのかな。
唇をキュッとかんだ。
今でもニンニクたっぷりのパスタの香りは「あの日」のことを思い出させる。
3年後、私の身体から次に生まれた娘は、3歳を過ぎても抱っこ紐の中にピッタリと収まりニコニコとしていてくれる女の子で、誰よりも小さなマザーズバックで私は3歳児健診へ向かった。
息子の時には、保育士さんに聞こうと思って10個以上書いたメモも、娘の時には1つもなかった。
医師や保健師さんに何を言われるか心配でたまならかった息子の時に比べて、たとえ誰に何を言われても、我が子は可愛くて何の心配もなかったし、どんなに泣き叫び走り回る他人の子も、しみじみいいなぁと思う。
驚くほど早く娘の3歳児健診が終わり、
会館の外に出た時
「きっと、ここにくることはもうないと思う」
と思って振り返り立ち止まった。
3歳児健診が終わったー。
私はその時、自分の子育ての最初の扉がパタンと音と共に閉じた気がした。
体と体が常にくっついている時間が、もう終わることを感じた。
そしてこれから、少しずつ私の時間が待っているような気がした。
そこにはもう、私の母の車は待機していなくて、私は颯爽と歩いて家まで帰った。
体が軽くなっていくような気分で、次の扉を開けに行くように気持ちになった。
その日を境に、
何年も相棒のように共に毎日を過ごした、
ベビーカーと抱っこ紐を私は手放した。
誰より大きかった私のマザーズバックも。
あれから2年。
子どものものでパンパンだった
私のカバンの中には、
ノートパソコンと愛読書が入っている。
3歳児健診の日の私に、
今そのことを、すごく伝えたい。
おわり