私のサードプレイス
今日から新学期。
娘と手をつなぎ、幼稚園バスが来るバス停へ5分ほど歩く。
息子の時から数えると、そのバス停へ通うようになって7年目の春となった。
今日から、そのバス停の長老が、私になった。
𖦞
7年前初めてそのバス停に行った日、
周りのお母さんたちの輪に入るのが怖かった。
世間話をする時間が苦手で、でも一人きりでバスを待つ事も嫌だった。
毎日顔を合わすことに気が重くなったこともあるし
誰かと誰かが仲良くしていることが気になったりすることもあったな。
人の目がすごく気になっていた。
だけど、その場はそんな私にとって〈訓練〉を与えてくれた場所だった。
そこで私は毎日毎年
自分の軸を真ん中にあり続ける練習を密かに重ねていって
いつしかそこは私の〈サードプレイス〉となっていった。
そこは私にとって息抜きの場所であり
一瞬の笑顔や思いやりを交換する場所であり
時に悩みを相談したりされたりする場所に。
あの人も あの人も あの人も
あの人も あの人も あの人も
毎日顔を合わせて交換していたのに
もう どこか遠くに行ってしまった大切なお母さんたち。
𖦞
今朝、玄関を出ると
同じ階の子が小学校の入学式に行くところだった。
0歳の頃から見てきた泣き虫の可愛い子が
紫色のランドセルを背負っていて抱きしめたくなった。
と同時に、そのお母さんの肩に手を置いて
「おめでとう!」と言っている私がいた。
バス停が見えてくると私は静かに胸が高鳴った。
知らない顔の親子がたくさんいて、
全く列になっていなくてバラバラに並ぶこの光景。
先月までいたお馴染みのあの顔はもういない。
初めて乗るバスになかなか乗れない小さな子たち。
なかなか発車しないバス。
中から泣き叫ぶ我が子を見て、涙ぐむお母さん。
この光景。私は全部知っている。
何度見ても、懐かしくて、どれも愛おしい。
私は深く深呼吸して、自分の中に閉じ込めたくなるのだ。
最後までバスに乗れなかった子のお母さんは
今日が入園式のような素敵な服を着てきていた。
私はそのお母さんに近づいて
「大丈夫ですよ、うちの子も、みんなもそうでしたから!」
と肩にそっと手を置いて声をかけていた。
こんな感情になれるのは
私がそれらの道をすでに通ってきたから。
そしてその時、私の肩に手を置いて「おめでとう」「大丈夫だよ」
と言ってくれた人たちがいたからだ。
𖦞
このバス停に通うのは、私にとって、最後の1年となる。
つかず離れずの距離でありながら
密かに私は このバス停の長老としての役目を微力ながら果たして
そっと次へバトンを託そうと思う。
この短い時間を
1回1回かみしめていくんだ。
おわり